2020.09.03

としまえんが閉園

8月31日で、としまえんが閉園しました。跡地は公園やハリーポッターのテーマパークになるのだとか。
としまえんと言えば大昔に行っただけですが、建築好きとして気になるところがあって見てきました。

_kojoimg_3763 1つ目は、入口の左手にある古城ホール(入園しなくても見られました。中には入れず)。何年か前に見た時よりも、塗りなおしてきれいになっているのは、映画撮影をしていたせいでしょうか?
もっとも、古城に向かう階段は古ぼけたままでした。
豊島園の開園当初からあったのではないかと思いますが、中々味のある建物なので、できればこのまま残してもらいたいところです。

もう1つは回転木馬・カルーセル エルドラド。1907年、ミュンヘンのオクトーバーフェストで披露されて以来、ヨーロッパ各地を回り、1911年にニューヨークのコニーアイランドへ移設。1964年にコニーアイランドが閉園した後、1971年から豊島園で稼働、という経緯があります。
公式サイト

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行った日には約40分待ちで、木馬が回っている時間は2分ほど。一番奥に乗ったら、予想以上に回転が早く、目が回りました。
機械としてはたぶん単純な仕組みだろうと思いますが、ミュシャを思わせるアールヌーヴォーの装飾を見ていると、当時の人々の見た夢を垣間見たような気がしました。

エルドラドは2010年、機械遺産に認定されており、無下に扱われることはないと思いますが、将来どうなるのか気がかりなことです。(いったん解体して保管するそうです)

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2020.09.02

簡易保険局の取壊し

三田の簡易保険局へ行ってみると、既に取壊し工事が進んでいました(無念)。三井不動産と三菱地所による事業((仮称)三田一丁目計画)で14階建て、総戸数約1100戸の大型マンションができるようです。

現状では中央の塔屋がある部分(吹き抜けが特徴的な階段室)だけ、まだ残っています。

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港区公式サイトの環境アセスメント資料にある画像(右)を見ると、元の簡易保険局の一部を保存するようです。
下の画像はありし日の簡易保険局の全景(Googleマップより)。
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(東京簡易保険支局⇒東京地方簡易保険局⇒東京簡易保険事務センター⇒かんぽ生命保険東京サービスセンター)

 

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2020.08.31

ハーフティンバー駅舎の前史

前回、ハーフティンバー駅舎の鎌倉駅が原宿駅のデザインに影響を与えたことを書きました。小野田滋氏は鎌倉駅からさらに遡って、明治中期の官庁集中計画のドイツ系デザインとの関連で論じています。

Tetsudoin2 鎌倉駅を設計した上野肇は、これより先に鉄道院仮庁舎(1910年)を設計したと言われています。これもハーフティンバーのデザインで、中央にある2つの塔が特徴的です。
上野が大学を卒業するのは1909年(明治42年)7月なので、大学を出てすぐに担当した作品ということになります。

Teisin12238_161723111212134615210_900 小野田氏はこの仮庁舎のデザインのもとになったのが逓信省仮庁舎(1907年)だとしています。これは木挽町の逓信省が火災にあった後、急遽建設したものですが、当時建設中だった東京駅・神田駅間の鉄道高架橋を利用しています。煉瓦アーチ部分を1階として、上にハーフティンバーの木造庁舎を載せたような体裁です。

設計したのは逓信技師の吉井茂則(京都の中京郵便局が代表作)。逓信省が鉄道事業を所管した時期もあった関係で、鉄道技師を兼任していました(二代目の大阪駅などを設計)。
鉄道施設の上に他の役所を建てるというのも特異な手法ですが、吉井が役所間の調整をまとめたのかもしれません(?)

吉井はドイツの建築家エンデ、ベックマンによる官庁集中計画の時代に臨時建築局に入り、議院建築(国会議事堂)の設計に関わっていました。結局、官庁集中計画は頓挫したため、議院建築は木造の仮建築とされました。

The_second_japnese_diet_hall_18911925初代の仮議事堂(1890年)は建設後間もなく火災で焼失したため、二代目の仮議事堂が約半年の突貫工事で建設されました(1891年)。吉井はこの工事に際して、ドイツ人技師オスカール・チーツェと共同設計でハーフティンバーのデザインを採用しています。仮とは言いながら、関東大震災を乗り越え、1925年火災にあうまで使われていました。

小野田滋氏は、「吉井が二代目国会仮議事堂でドイツ人建築家のチーツェからハーフティンバーの技法を学び、逓信省仮庁舎を経由して、鉄道院上野肇の鉄道院仮庁舎、鎌倉駅へと受け継がれ、鎌倉駅の現場を担当した長谷川馨によってさらに原宿駅へ継承されたことが推察される」としています。(前掲「大正浪漫の駅 原宿駅」)

※画像は小野田滋『高架鉄道と東京駅(上)』、文化遺産オンラインWikipediaより引用。

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2020.08.23

旧原宿駅舎の取壊し

Haraimg_3610 旧原宿駅舎の取壊しが明日(8/24)から始まるそうで、記念撮影をしている方を多く見かけました。文化遺産と言っていい建物をなぜ残せないのか、と考えるとまったく情けない話です。
Haraimg_3622JR東日本側にも保存の声が多く寄せられたようで、8月7日に出されたニュースリリースでは「地域の皆さまに親しまれてきました旧駅舎は、防火地域に適した材料を用いて、外観を可能な限り再現し建替えを行ってまいります」とされています。
Hara789旧原宿駅舎の特徴は木部を現したハーフチンバーの造りで、確かにそのままでは耐火的に問題があるのでしょう。また、再現案を作っている建築関係者も限られた条件内で様々苦労されていることとは思いますが…。
(敷地の余裕もないことから、ただ表面だけそれらしくするのではないかと危惧されます)
どうにも釈然としないところです。

参考:JR東日本のニュースリリース(8/7)

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2020.08.20

旧尾崎行雄邸

Ozakiimg_2925 豪徳寺2丁目に残る旧尾崎行雄邸を見てきました。
尾崎の東京市長時代にあたる1907年頃、麻布に建てた邸宅で、1933年に豪徳寺へ移築したものだということです。
木造下見板貼の西洋館で、貴重な明治建築です。
Ozakiimg_2934現在は工務店などが所有しており、7月に取壊し予定となっていました。保存運動によりいったん工事は延期されていますが、現所有者は買取りを要求しているようで、厳しい状況です。
Ozakiimg_2926詳しい記事は旧尾崎行雄邸保存プロジェクトFBにあります。

(画像は7月に撮影)

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2020.08.17

岩佐多聞邸が取壊し

Iwasaimg_3590渋谷区代々木上原2丁目の岩佐多聞邸が近々取り壊されるというので見てきました。
9月から解体予定と標識が出ています。

周囲には住宅が建ち並んでいますが、かつてこの一帯には紀州徳川家の邸宅がありました。徳川家迎賓館と言われる建物です。
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今では木が生い茂っており、建物の全貌がよく見えません。左の画像は『東京の近代洋風建築』(1991年)掲載の写真で30年前の様子ということになります。同書によれば、設計者不明で大正初期の建設とされています。
右の画像はGoogleマップより拝借。中央の洋館と左下のマンションを取り壊し、新たにマンションを建てる計画と思われます。
Iwasaimg_3554大正建築と言われてみれば、窓の下あたりなどに見られる装飾はセセッション風のようでもあります。

この建物については、朝日向猛氏のHPに「紀州徳川家の迎賓館?」「代々木御殿:久米民之助邸⇒紀州徳川家邸⇒岩佐多聞邸」があって詳しく考察されています。
当地には明治末か大正初め頃から久米民之助(工部大学校出身の実業家)の邸宅があり、代々木御殿と呼ばれていたそうです。久米は関東大震災後、邸宅を徳川家に譲っており、その後も所有者が変わっていますが、岩佐邸は久米民之助邸洋館ではないか、ということです。

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2020.07.28

山手線の新駅

Takap1220937隈研吾と言えば、3月に高輪ゲートウエイ駅が開業しています。
「隈研吾氏をデザインアーキテクトに迎え、国際交流拠点の玄関口として、随所で「和」を感じられるデザインとしました」(JR東日本ニュースより)。
外観は折り紙の形になっているそうです。


一方、原宿駅もリニューアルされました。閉鎖された旧駅舎はこのまま取り壊されてしまうのでしょうか?
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(画像は3月撮影)

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2020.07.25

M2ビル

M2img_0915環八通りを通ったついでにM2を拝見(昨年10月です)。
隈研吾の初期作品(1991年)で、2003年から葬祭場(東京メモリードホール)となって健在です。
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マツダが使っていた当時、外観だけ見ましたが、内部は初見。吹き抜けになっていたのは意外でした。
葬祭場として使うため、かなり改装しているはずですが、具体的なことは調べていません。
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表側のデザインはにぎやかですが、裏手の方は無機質な感じの建物です。

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2020.07.16

やまとなでしこ20周年

Daiimg_2945先日、2000年に放映された「やまとなでしこ」の再放送がありました。ドラマではいくつかの西洋館がロケ地になっていますが、桜子が住む古アパートというのが特に印象的でした。
どこにあるのか探し回ったのがもう20年前か、と思うとビックリです。
Daiimg_2537件のアパートは、その後火事で一部が焼けてしまい、取り壊されています。今年1月に十数年ぶりで跡地を訪問しましたが、マンションが建っており、エントランスに当時をしのばせるようなステンドグラスがありました。
はっきりとはわかりませんが、当時のものを取り外し、保存してあるのかもしれません。

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2020.03.31

OSN143明治生命館余話

1月以来、明治生命館に関わることを書き連ねてきた。この建物は重要文化財に指定され、既に多くの建築史家の方々が論じているが、自分なりに気になるところを書いてみた。
(重要な部分が相当抜けているので、『図録明治生命館』や野村和宣氏の『生まれ変わる歴史的建造物』などを参照してください)

ちょうど書いている最中に「静嘉堂文庫の美術館ギャラリーが、2022年に明治生命館1階へ移転」というニュースも入ってきた。その後の公開方法がどうなるのか、少々気になるところだが。

建設工事途中で岡田捷五郎に召集令状が届いたことなど、まだ謎は残っているが、このあたりで区切りとし、別の機会にしたい。
最後にいくつか補足を。

Ginza ■工事記録映像
明治生命館2階の資料・展示室で建設工事(1930-1934年)の様子を捉えた映像を流しているので、ご覧になった方も多いと思う。
クレーン、スチームハンマーなど建設工事の機械化が進む一方、まだ人力に多く頼っていたことが伺える貴重な映像資料である。残念なのは、解説が付いていないので何をやっているのかよくわからない部分があること。
そこで、工事記録映像の私的メモを作ってみた。
(暫定版なので詳しい方がいればご教示ください)

Hgenkan■旧館部材の行方
旧館(三菱二号館)の取壊しに際して、2か所の「玄関のアーチ型入口は、原型のまゝを東京美術学校及び横浜高等工業学校に寄贈し永久に現存せらるゝ事となつた」との記載が『六十年史』にある。
既に90年経っており、学校の組織自体も変わっているが、どうなっているのだろうか。

東京美術学校(現東京芸術大学)は岡田信一郎が教壇に立っていた関係で部材を引き取ったと思われる。
大正時代に建てられた校舎(文部省設計、1914年竣工)の外壁に保存部材が取り付けられていた。実際に取り付けるところまで、岡田が見届けたのかどうかは不明だが。
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(画像は練馬区立美術館の『大沢三之助展』ちらしより)
この校舎は既に取り壊されており、部材はしばらく放置されていたようであるが、現在は明治村に移されている。
ブログ記事「近代建築物の宝庫!明治村」(たらよろさん)の7枚目に円柱部分の画像がある。(この他にも明治村でペディメント部分を見た気がする?)

横浜高等工業学校は横浜国立大学工学部の前身である。曽禰中條事務所にいた中村順平(建築学科主任教授)の縁で部材を引き取ったのであろう。かつて工業学校があった敷地は現在の横浜国立大学教育学部附属横浜中学校で、1938年に建てられた工業学校の校舎が現存している。
二号館の部材がどこに置かれたのか、現状どうなっているのかは不明。(情報求む)

0kabeimg_2115■壁のモニュメント
明治生命館の北側スペース(皇居側から見て左側、ガラス屋根のかかるアトリウム部分)に、切り取られた壁の一部が置いてあり、建築業協会賞、建築学会賞などのプレートが付いている。

明治生命館一帯の街区再開発が行われる前には、地下駐車場に降りるスロープがあった。スロープに沿って造られた壁の一部(駐車場に入る直前の左側)をモニュメントにしたものである。

本館の壁は、中に鉄骨が入るSRC造だが、ここは建物の外でRC造になっている。構造は違うが、当時の工法を示す事例として参考になる。
壁の外側は花崗岩を積んでいる。壁の内側は擬石仕上げだが、現場打ちではなく、予めブロック状に造っておき、石と同様に積み上げていったのであろう(多分)。
鉄筋を組み、花崗岩と擬石を一段づつ据えながら、コンクリートを流し込んで壁を作っていると思う。
(スロープがあった名残りも、近くに残っているので探してみてください)

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