首里城が…
首里城の正殿などが31日未明の火災で全焼ということです。
琉球新報の記事
正殿は首里城のシンボルとなる大規模な施設で、元の建物(旧国宝)が戦災で焼失した後、1992年に木造で復元されたものです。他に奉神門、北殿、南殿、書院・鎖之間、黄金御殿、二階殿が全焼しました。
原因はまだ不明で、北殿、南殿などはコンクリート造の部分もあったようですが、ずいぶんよく燃えたものです。
首里城の正殿などが31日未明の火災で全焼ということです。
琉球新報の記事
正殿は首里城のシンボルとなる大規模な施設で、元の建物(旧国宝)が戦災で焼失した後、1992年に木造で復元されたものです。他に奉神門、北殿、南殿、書院・鎖之間、黄金御殿、二階殿が全焼しました。
原因はまだ不明で、北殿、南殿などはコンクリート造の部分もあったようですが、ずいぶんよく燃えたものです。
佐賀の鍋島閑叟公銅像のあった近くに、1927年に建てられた徴古館。
以前写真で見て、何となく岡田っぽい、と思い、訪ねてみたかった建物です。
設計者は徳永庸とのこと。あまり知られてない名前と思いますが、建築ファンなら、近年取壊しになった銀座東邦生命ビル(1930年)を知っている方も多いのでは。
早稲田建築科の1期生で、卒業後は辰野片岡事務所を経て、佐藤功一事務所へ。早稲田大学で教壇に立ちました。村野藤吾の進路の相談に乗ったりしたそうです。 正面中央の壁面を湾曲させるのはバロック的手法?
車寄せのトスカナ風円柱は、岡田の鍋島閑叟公銅像へのリスペクトかも、と勝手に想像してますが…。
日曜休館で、残念ながら外観のみでした。
岡田作品で最南端、沖縄の南大東島にある物件。
(もし登録文化財にすれば、日本最南端になるのかも…?)
玉置半右衛門(1910年死去)は、無人島だったこの島を開拓した人物で、1923年、玉置の事務所跡に碑が建てられた。(碑には「玉置半右衛門君紀念碑」とあり)
国会図書館に残されている設計図面を見ると、人物のレリーフを付ける計画になっているが、実際にはレリーフは無く、実施段階で変更されたようだ。建設に岡田建築事務所が関わっていることは確実であるが、設計変更の経緯など、今一つ不明な点もある。
未だ現地を訪れていないが、北大東島の方にも同名の碑(戦後物件)があるので、もし訪れるときには注意したい。
(写真は南大東村提供)
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