2018.09.18

OSN127國井家観音堂

岡田の設計作品の中に「國井家観音堂」がある。『建築雑誌』(1932年5月)のデータによると次のとおり。
*國井家観音堂 山形県高松 國井門三郎氏邸内 [竣工大正]9年

国会図書館の資料(岡田兄弟設計図集)にある「観世音堂」の図面を見ると、屋根に鴟尾を乗せた桁行3間、梁間2間の小規模な仏堂建築である。資料には石川確治(山形出身の彫刻家)の手紙も入っており、石川が観音像を制作している。

國井家は山形県でも有数の大地主で、当主は代々門三郎を襲名していた。ここでいう門三郎は明治4年生まれの方で、國井酒造を経営し、県会議員、高松村長等を歴任。昭和6年、次男に名を譲り、國井経崇と改名している(次男は後の寒河江市長)。
建設した経緯は不明だが、観音堂はその後(1935年)國井邸から父母報恩寺(山形県村山市)に移築され、「雪の観音」と呼ばれている。
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画像はgooglemapより借用。左は県道側から:山門の左手に観音堂がある。右は国道13号側から:観音堂の背面が見える。

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2018.09.16

OSN126梅田ビル

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(画像は『太陽』1986年2月特集「甦るアール・デコ」より)

岡田信一郎が設計した梅田ビルは、1928年(昭和3年)12月=竣工、RC造4階建の小規模なオフィスビル。
東京駅近くの八重洲二丁目にあり、オーギュスト・ペレのフランクリン街のアパート(画像)を思わせる出窓や、アールデコ風の細部装飾が特徴的であった。
ブログ「ぼくの近代建築コレクション」によると、1985年4月時点で1階のレストラン「シャンティー」が営業していたそうだが、上記『太陽』の記事には「現在は都会の廃墟と化した」とあり、まもなく建替えられたのであろう。

梅田商会主の梅田潔(1873-1953年)はロシアとの貿易で財をなした人物である。
今や忘れられた作家で梅田晴夫という人がいるが、Wikipediaに父、潔のことも簡単に書いてある。

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2018.08.26

見定二郎 余滴

以前の記事(小池駸一)で見定二郎について書いた。ロシアとの開戦後間もない明治37年(1904年)2月、病気で急逝した一高生で、倉田謙の弟である。岡田信一郎の2学年下になる。
だいたいのことは以前の記事に記してあるが、いくつか補足しておく。

〇画学会
見定が画学会に入っていたことも以前書いた。
東京大学の駒場博物館には、画学会の作品集が6冊遺されている。年代がはっきりしないものもあるが、明治27年から36年頃に作られたものである。
ここから、お題(テーマ)を決め、それに沿って各人が作品を描き、相互に点数を付ける、という方式で活動していたことがうかがえる。お題の例として「冬籠」「一刻千金」「くるしみ」などがある。

私(筆者)は、岡田信一郎の絵があるかもしれないと思って博物館を訪れ、資料を見せていただいた。
『題画集 卅六年四月廿八日 卅五年九月十二日 画学会』と表紙に記された冊子は、ちょうど岡田が在校していた当時のもの(明治33年9月-36年7月に一高在校)であるが、作品の大半には署名がなく、何とも判断ができなかった。

ただ、その中に「ジロウ」と記された絵が4点あった(「喜悦」「アベコベ」「呑気」「画学会」)。見定二郎による作品かもしれない。
見定の在校期間は明治35年9月-37年2月なので、年代的には重なっている。ただし、ジロウという名の学生は何人かいるし、断定はできない。確認する方法はないものだろうか。
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2018.08.25

OSN125倉田謙のこと

前回の記事(岡田の同級生)を書いたのは、『工業大辞書』の執筆者の中に倉田謙がいるのに気づいたことがきっかけである。書いているうちに倉田の卒業後の進路がはっきりしてきた。
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倉田は九州帝国大学の校舎群を数多く設計している。近年、九州大学のキャンパス跡の整備方針が決まり、校舎の一部が保存されることになった。設計者として倉田の名前も、以前よりは知られてきたように思う。
しかし、倉田の具体的なことはほとんど不明のままである。

倉田の弟、見定二郎が早世した話は以前別の記事(小池駸一)で書いたが、兄弟で姓が異なる点がまず気になる。

倉田の父は倉田伋作という。『改正初学算術教科書』(1888年)、『幾何学』(1891年)などの編著があり、数学者だったと思われる。
倉田家は本郷区元町に500坪の土地を持っていた(地籍台帳による)。昭和初期の火災保険地図を見ると、木造長屋の家屋が建ち並んでおり、不動産からの収入もあったようである。
父がいつまで存命だったのか不明だが、『日本紳士録』を見ると29版(1925年)まで掲載があり、30版(1926年)では見当たらなくなる。

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2018.03.25

OSN124岡田の同期生

岡田信一郎の大学時代については、これまで断片的にしか書いてこなかった(木葉会小池駸一などの記事)。
大学時代の同級生についてまとめておく。

【1903年9月-】第1年
市田菊治郎、萩尾菅次郎、橋本勉、岡田信一郎、横浜勉、竹内六蔵、永瀬狂三(留)、倉田謙、山尾三郎、松井貴太郎、本野精吾(9月入学、いろは順)、井手薫(10月以降入学)
*永瀬は明治35年に建築学科に入学し、2回目の1年。

【1904年9月-】第2年
岡田、本野、橋本、松井、倉田、井手、市田、永瀬、横浜
*山尾・竹内は2回目の1年。萩尾は京都帝国大学電気工学科へ。

【1905年9月-】第3年
岡田、本野、倉田、井手、橋本、市田、横浜、松井、永瀬
*山尾は3回目の1年、竹内は2年。

【1906年卒業】
岡田、本野、倉田、井手、橋本、松井、市田、横浜(7月卒業)、永瀬(10月卒業)
*山尾は退学か。竹内は3年に進む(長谷部鋭吉、後藤慶二らと同じ1909年7月卒業)。
以上は、主に『東京帝国大学一覧』による。
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建築学製図室(国立国会図書館デジタルライブラリー『東京帝国大学』より)
※1900年刊行なので、これは岡田が入学する以前の写真。

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2018.03.23

OSN123工業大辞書(完)

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『工業大辞書』の目録編纂が始まったのは1905年12月頃という(前の記事)。
1905年と言えば、岡田信一郎は大学3年生であり、どこまで関わったのか不明だが、翌年9月、大学院に進む頃には、先輩の大熊喜邦を手伝い、積極的に関わるようになったのではないか。
1908年1月(推測)に記事を分担し、執筆が始まると、前記のとおり岡田も多くの項目を担当している。
(画像はオーダーの挿図)

第1冊(あ~え)の刊行は1908年8月を予定しており、かなり忙しい日程で作業が進められたはずである。
だが、岡田自身も大学院に籍を置きながら、工手学校、東京美術学校、日本銀行、建築学会役員など多くの仕事を抱えていた(以前の記事「卒業後の状況」を参照)。次第に執筆が困難になっていったのではないか。

途中から前田松韻、松井清足、倉田謙らが参加しており、岡田が執筆する予定だった項目を複数で分担したと想像される。

ちょうど第2冊(え~き)が刊行された頃(1909年9月)、岡田は病気で長期療養を要する状態になり、建築学会の役員を辞任している。また、日英博覧会嘱託として洋行する予定であったが、その機会も逃してしまう。
年明けには小田原へ静養に出かけ、3月頃まで過ごしている。同年5月刊行の第3冊(き~け)にある項目(希臘建築など)は、病気で倒れる前に執筆済みだったものだろうか。

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2018.03.21

OSN122工業大辞書(続)

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岡田信一郎が執筆した『工業大辞書』の項目を具体的にみてみよう。

(西洋建築の用語)
*拱(アーチ)、アチック、オーダー、カルツーシ(右の画像)
(西洋建築史)
*愛蘭土(アイルランド)建築、アングロ・クラシック建築、アングロ・サクソン建築、アングロ・パラヂアン建築、英吉利(イギリス)建築、希臘(ギリシャ)建築、クラシック建築、ノルマン建築
(西洋の建築家)
*アポロドロス(古代ローマ)、アルベルチ(15Cイタリア)、アレッシ ガレアツオ(16Cイタリア)、イクチノス(古代ギリシャ)
(日本建築の用語)
*合口、足代、足止丸太、足場、阿迫羽目(あぜりばめ)、アテ、歩、嵐打、石敷、石畳、板抉(いたじゃくり)、甍、入子板、齊柱(いんばしら)、内法、腕木、埋土台、裏板、椽座敷、拝打、蟇股(かへるまた)
(日本建築史)
*城堡(じょうほ)建築

語の定義のみで数行程度の短い項目もあるが、イギリスを中心に西洋建築史関連の項目に力を入れているようである。
『工業大辞書』は国会図書館デジタルライブラリーで公開されているので、比較的長く、図版がある項目へのリンクを示しておく。

*拱(アーチ) (第1冊)1909(M42).3刊
*英吉利建築 (同上)
*オーダー (第2冊)1909.9刊
*希臘建築 (第3冊)1910.5刊
*城堡建築 (第5冊)1911.6刊
*ノルマン建築 (第7冊)1913.8刊

ところで、工業の用語を調べたいという一般読者に対して、ガレアッツォ・アレッシの説明がどれほど重要性を持つのだろうか。建築史好きな私(筆者)も、少々疑問に感じる点である。

それはさておき、ここで気が付くのは、岡田が執筆した記事の分布が、前の方に偏っていることである。
あ行、特に「あ」で始まる用語が多く、か行以降は少なくなる。
項目数でいうと、「あ」17、「い」8、「う」4、「え」1、「お」2、「か」2で、後は「き」「く」「し」「の」が各1で、合計38項目となる。

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2018.03.17

OSN121工業大辞書

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明治時代末に刊行が始まった『工業大辞書』という用語辞典がある。若き日の岡田信一郎が同書の項目を執筆しているので、調べてみた。

『工業大辞書』は同文館が企画した『大日本百科辞書』の一部で、収録語は6千以上、4千ページを超える大著である。本文を8冊に分けて、1909年(明治42年)に刊行が始まり、1913年(大正2年)に完結した。

同書の復刻版(本文4巻、索引1巻)を刊行した日本図書センターの公式サイトによれば、「明治期を代表する学者を動員した大型辞典として定評」があり、「工業はもとより陸海軍・外務・文部・鉄道など幅広い分野の執筆人による充実した内容であり、近代史・社会史研究のための歴史用語辞典」であるという。
建築史家の村松貞次郎は、工業大辞書について「理論的には未だ建設期ではあるが反面、生産の現実によく根ざした成果を総決するものである」と述べている。(『近代日本建築学発達史』P401に引用)

まず、本書の建築関連の執筆者を挙げておくと、刊行開始当初(1909年)では以下のとおり。
伊東忠太、関野貞、塚本靖、中村達太郎(以上、工学博士)
内田祥三、大熊喜邦、岡田信一郎、葛野荘一郎、佐藤功一、佐野利器、中村伝治、前田松韻(以上、工学士)

刊行途中で、北村耕造、倉田謙、内藤多仲、松井清足、山崎静太郎(いずれも工学士)が執筆に加わった。

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2018.01.08

正月の上野

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正月休みは鎌倉、皇居、上野あたりを回っていました。

上野では黒田記念館に行きました。1月2日から14日まで、特別室(「湖畔」「智・感・情」などを展示)を公開しています。
公式サイト

(博物館、寛永寺本堂を見た後、)谷中七福神の一つ、大黒天をまつる護国院に寄ってみると、初詣客で結構にぎわっていました。

芸大の陳列館、小松宮像も横目で見て、岡田信一郎ゆかりの建物めぐりでした。

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2017.10.15

運慶展

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東京国立博物館の「運慶展」を見てきました。土曜の夜で空いていました。
東大寺の重源像(運慶?)や八大童子がよかったです。

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常設展に寄ってみると、2階の3室に岡田信一郎寄贈の「愛染明王像」(13世紀)がありました(11月12日まで展示)。

東博の画像データベースで「愛染明王」と検索しても、残念ながらこの作品は出てきません…。
以前の記事で紹介したとおり、末松謙澄の旧蔵品とのことです。

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