2020年9月の8件の記事
2020.09.30
2020.09.29
原宿駅の様子202009
見たところ、廂のあたりが撤去され、壁の一部が壊されています。これはネットにあった建設当時の原宿駅の画像です。
(三井住友トラスト不動産のサイト「明治神宮の鎮座と原宿の発展」より)
2020.09.18
OSN147岡田信一郎と恒川陽一郎
(萬龍の話の続き)
恒川陽一郎が亡くなり、未亡人となった静(もと萬龍)と岡田信一郎が結婚した。これはよく知られた話であるが、恒川の葬儀の際に岡田が友人総代を務めていたことは、あまり知られていないと思う。筆者(私)もこれを知って驚いたのである。
岡田と恒川はどこで知り合ったのだろうか。
2020.09.10
『名流婦人情史』と萬龍
1929年(昭和4年)に刊行された照山赤次編『名流婦人情史』に萬龍の章がある。これは萬龍に関する著作の中でも珍作と言えるであろう。
人気芸妓の萬龍が箱根で恒川陽一郎と出会い、困難を乗り越えて結婚するが、恒川に先立たれ、岡田信一郎と再婚する、という話を小説仕立てにしている。ある程度はフィクション交じりだろう、と割り引いて読んでみても、他の記録と比べてディテールが食い違う点が多い。以下にあらすじを書いてみる。
- 喜劇役者の曾我廼家五九郎が、萬龍に振られるエピソードが冒頭に描かれる。
- 葉桜の時期、恒川は親友の岡田と強羅の宿に来ていた。夜が更け、雨が強くなってくる。11時ころ、風呂へ行った岡田はうっかり女風呂に入ってしまい、大変な美人(萬龍か?)を見かける。翌朝、岡田は用事があって、雨の中を先に帰った。(岡田が恒川と一緒にいたというのは本当だろうか?また、旅館は同じ箱根でも強羅ではなく、塔ノ沢では?)
- 雨が上がった後で、芸妓3人と客1人が川の近くで遊んでいた。1人の芸妓(萬龍)が川に落ちて流され、横倒しになった樫の木にひっかかった。それを恒川が流れに入って助け出した。(実際は萬龍は洪水から逃げる途中で気分が悪くなったところを助けられたのではないか?)
- 東京へ戻り、再会した恒川と萬龍は恋に落ち、度々会うようになる。恒川は肺病を患ったことがあり、結婚をためらっていた。親友の岡田は結婚するよう2人を励ました。(岡田が2人の仲を取り持ったというのは他の記録には全く見えない話だが、本当だろうか?)
- 恒川と萬龍は結婚する。だが、まもなく恒川の病状が悪化し、遂には亡くなってしまう。強羅の一件から2年目の夏だった。(実際は1910年の箱根大洪水から1916年の死去まで約6年である)
- 恒川が岡田にあてた遺書には「自分の死後、君は萬龍の一切をみてやつてくれまいか。もしできるなら、萬龍と結婚してやつてくれ」とあった。恒川の後を追うことを考えていた萬龍だったが、結局、岡田のプロポーズを受け入れ、再婚した。(恒川の遺書というのも他の記録にない話である。恒川は急死したそうなので、遺書を書く暇はなかったのでは?)
2020.09.05
『近代美人伝』と萬龍 補遺
長谷川時雨(1879-1941)と言えば、江戸の面影が残る明治時代の下町を活写した『旧聞日本橋』で知られている。元々は劇作家で、六代目尾上菊五郎のために書いた舞踏劇「江島生島」などは今日でも上演されている。 長年にわたって「美人伝」と題した女性の評伝を書いており、「美人伝の時雨(しぐれ)」と呼ばれたそうだ。その一部をまとめた『近代美人伝』(1936年2月、サイレン社)には、マダム貞奴、樋口一葉、新橋のぽんた、萬龍など、20人の「美人伝」が収められている。
萬龍の章の初出は1919年(婦人画報2月号)で、岡田信一郎と再婚した後である。
※岩波文庫版『近代美人伝』では、残念なことに萬龍の章は省略されてしまっているので注意。
2020.09.03
としまえんが閉園
8月31日で、としまえんが閉園しました。跡地は公園やハリーポッターのテーマパークになるのだとか。
としまえんと言えば大昔に行っただけですが、建築好きとして気になるところがあって見てきました。
1つ目は、入口の左手にある古城ホール(入園しなくても見られました。中には入れず)。何年か前に見た時よりも、塗りなおしてきれいになっているのは、映画撮影をしていたせいでしょうか?
もっとも、古城に向かう階段は古ぼけたままでした。
豊島園の開園当初からあったのではないかと思いますが、中々味のある建物なので、できればこのまま残してもらいたいところです。
もう1つは回転木馬・カルーセル エルドラド。1907年、ミュンヘンのオクトーバーフェストで披露されて以来、ヨーロッパ各地を回り、1911年にニューヨークのコニーアイランドへ移設。1964年にコニーアイランドが閉園した後、1971年から豊島園で稼働、という経緯があります。
公式サイト
行った日には約40分待ちで、木馬が回っている時間は2分ほど。一番奥に乗ったら、予想以上に回転が早く、目が回りました。
機械としてはたぶん単純な仕組みだろうと思いますが、ミュシャを思わせるアールヌーヴォーの装飾を見ていると、当時の人々の見た夢を垣間見たような気がしました。
エルドラドは2010年、機械遺産に認定されており、無下に扱われることはないと思いますが、将来どうなるのか気がかりなことです。(いったん解体して保管するそうです)
2020.09.02
簡易保険局の取壊し
三田の簡易保険局へ行ってみると、既に取壊し工事が進んでいました(無念)。三井不動産と三菱地所による事業((仮称)三田一丁目計画)で14階建て、総戸数約1100戸の大型マンションができるようです。
現状では中央の塔屋がある部分(吹き抜けが特徴的な階段室)だけ、まだ残っています。
港区公式サイトの環境アセスメント資料にある画像(右)を見ると、元の簡易保険局の一部を保存するようです。
下の画像はありし日の簡易保険局の全景(Googleマップより)。
以前の記事
(東京簡易保険支局⇒東京地方簡易保険局⇒東京簡易保険事務センター⇒かんぽ生命保険東京サービスセンター)
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