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2020.04.14

OSN144スペイン風邪の記

第一次世界大戦末期の1918年夏頃から、世界各地でスペイン風邪が流行し、多くの犠牲者を出した。
日本でも流行し、有名人では文学者の島村抱月、また建築家では辰野金吾や後藤慶二がスペイン風邪で亡くなったと言われている。以前の記事で岡田信一郎もスペイン風邪にかかったのではないかと書いたが、当時の流行の状況など詳しいことは未だ調べていなかった。
Kaze目下図書館も閉まっており十分な資料はないが、『流行性感冒』(内務省衛生局、1922)などを参考に一応書いてみたい。
(画像は当時のポスター。マスクをしないと「バイキン」を吸い込んでしまう、という警告らしい)

スペイン風邪が日本で大流行したのは1918年(大正7年)10月以降である。翌年3月までが第一波、その年の12月から翌年3月あたりが第二波、その次が第三波とされている。約2,380万人が感染したとされ、当時の人口約5,500万人の4割を超える。

第一波は患者数・死者数とも多かった。第二波は第一波で感染しなかった者が多く感染したという。患者数は減少しているが症状が重く、死亡率は高まった。第三波は比較的軽微であり、これ以降の流行は見られない。集団免疫を獲得した、ということだろうか。

岡田が「感冒」にかかったのは1918年10月下旬で、流行の初期に当たる。ちなみに、当時の首相・原敬も10月26日に発熱し、風邪が全快するまで1か月ほどかかったという。

島村抱月(11月5日)、後藤慶二(1919年2月3日)、辰野金吾(同3月25日)の逝去は第一波の期間にあたる。

島村と岡田はかつて療養先の小田原で顔を合わせたことがあり、島村が演出した文芸協会の舞台装飾を手掛けたこともあるようだ(前出)。
島村はこの年の10月29日から流行性感冒で寝込んでいたが、病状が急激に悪化し11月5日に亡くなった。人気女優の松井須磨子が後追いで自殺したことも世間を驚かせた(翌年1月6日)。
司法技師の後藤は、岡田とは高等師範附属中学の同窓で、ともに早稲田の教壇に立った時期もある。
後藤は流行性感冒から腸チフスを併発し、1月14日駒込病院に入院、2月3日に37歳で亡くなった。岡田は『建築雑誌』に後藤の作品紹介等を書くつもりだったが、締切間際に(3月初頃?)「発熱」して床に就いたため、果たせなかった。(1年後、岡田らが発起人となって「故後藤慶二君追悼会」が行われ、岡田は司会を務めた)
岡田の師にあたる辰野は12月より軽い気管支炎となり館山の別荘で療養していた。議院建築(国会議事堂)設計コンペの審査員だったため、3月15日、無理を押して東京の自宅(赤坂)へ戻った。最終選考(3月19日)を終えたが、流行性感冒にかかり肺炎を併発してしまったという。審査結果(1等当選に渡辺福三案)が発表されたのは3月20日で、その5日後に亡くなった。

二十五日午後に至り病状愈々革まり薬石効なく同夜十時遂に薨去せられたりき。享年六十六(略)[辰野]博士その死期の近づくを知るや家人近親を枕頭に集めこれに告別し、悠揚迫らず萬歳を唱えて晏かに眠れりと(建築雑誌388号)

辰野の臨終の様子は、子息の辰野隆(当時大学講師)が「終焉の記」に書き残している(同号)。
後藤や辰野の死は岡田にも大きな衝撃を与えたことと思う。

最後に『流行性感冒』の統計数値から東京府の分を表にまとめてみた。東京府の人口は約360万人で、約半数が感染したことになる。

1918.8-19.7 1919.8-20.7 1920.8-21.7
患者数 死亡者 患者数 死亡者 患者数 死亡者
8         0 0
9         0 0
10 *528,561 *5,030     266 38
11 43,386 272 378 54
12 3,830 68
1 *295,903 *2,817 284,085 8,184 10,691 110
2 464,328 4,443 46,722 2,378 16,520 169
3 115,268 1,113 4,140 416 22,615 233
4 12,001 115 9,409 898 5,982 61
5 4,967 47 44,132 379 0 0
6 952 9 224 32    
7 0 0 49 7    
1,421,980 13,574 432,147 12,566 60,282 733
全国 21,168,398 257,363 2,412,097 127,666 224,178 3,698

 

  患者数 死亡者
東京 1,914,409 26,873
全国 23,804,673 388,727

(補足)空欄は報告なし。1918年10-12月の欄は初発(東京では10月中旬)から1月15日までの合算。1月の欄は1月16日-30日分。元資料では2月-7月を半月単位で出しているが、表では合算した。1919年11-12月の欄は初発(11月下旬)から12月末までの合算。1920年5月の患者数は全国的に4月より減少しているのに東京では増加している…?

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