OSN141アメリカの保険会社
昭和初期の『生命保険経営』誌に「ホーム・オフヰス紹介」という記事が連載(1930-1934年)されていることに、つい最近気が付いた。アメリカにある保険会社23社のホームオフィス(本社)を写真入りで紹介したもので、創業から当時の経営状況、社屋の建築概要を記している。
執筆者の「本郷曙」は筆名で、連載の最後に明治生命保険の稲田勤であることを明かしている(出身地が本郷曙町)。1930年(昭和5年)に留学から帰国した稲田が、集めた資料や見聞をもとに執筆したものである。
稲田の後年の回想に「[1929年] 岡田信一郎氏の弟の捷五郎氏がわざわざアメリカにやって来て、有名な保険会社の内部設備や室内装飾を見たいというので、これはと思う会社はみんな案内して回りました」とある(「稲田勤と明治生命館」に引用)。
稲田と捷五郎が見て回った保険会社について、これまで具体的なことは不明だったが、連載に取り上げたのは稲田自身が興味を持って見た会社(=これはと思う会社)のはずだから、この中に視察先が含まれている可能性は高いと思う。
マサチューセッツ生命保険相互会社 Massachusetts Mutual Life Insurance Co. Springfield, Massachusetts 1927年竣工(現存) 【参考】(画像出典) |
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連載第1回はマサチューセッツ生命保険である。この社屋については『生命保険経営』誌でも何度か取り上げられており(稲田の記事の他にも1929年6月、1931年7月、1960年7月)、関係者の間でよく知られていたようだ。(文末で私見を記す)
他の22社は以下のとおりである。
プロビデント生命保険相互会社 Provident Mutual Life Insurance Co. Philadelphia, Pennsylvania 1928年竣工(現存) 【参考】(画像出典) |
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ニューヨーク生命保険相互会社 New York Life Insurance Co. New York, New York 1928年竣工(現存) 【参考】(画像出典) |
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リンカーン・ナシヨナル生命保険株式会社 incoln National Life Insurance Co. Fort Wayne, Indiana 1923年竣工(現状は一部高層化) 【参考】(画像出典) |
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カナダ サン生命保険株式会社 Sun Life Assurance Co. of Canada Montreal, Quebec 1918年竣工、1931年増築(現存) 【参考】(画像出典) |
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エトナ生命保険会社 Aetna Life Insurance Co. Hartford, Connecticut 1931年竣工(現存) 【参考】(画像出典) |
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ファイデリティー生命保険相互会社 Fidelity Mutual Life Insurance Co. Philadelphia, Pennsylvania 1927年竣工(現美術館) 【参考】(画像出典) |
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コンネチカット生命保険株式会社 Connecticut General Life Insurance Co. Hartford, Connecticut 1926年竣工(現存) 【参考】(画像出典) |
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コンネチカット生命保険相互会社 Connecticut Mutual Life Insurance Co. Hartford, Connecticut 1926年竣工、3F建(現存) (画像出典)Google Maps |
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ニユー・イングランド生命保険相互会社 New England Mutual Life Insurance Co. Boston, Massachusetts Mutual of New Yorkの旧社屋を使用(不明) 【参考】(画像出典) |
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パシフヰツク・ミユーチユアル生命保険会社 Pacific Mutual Life Insurance Co. Los Angeles, California 1906年竣工、後に増築(不明) 【参考、参考2】(画像出典) |
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ユニオン・セントラル生命保険株式会社 Union Central Life Insurance Co. Cincinnati, Ohio 1913年(現存) 【参考】(画像出典) |
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ペン生命保険相互会社 Penn Mutual Life Insurance Co. Philadelphia, Pennsylvania 1925年(現存) 【参考】(画像出典) |
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プルデンシヤル保険会社 Prudential Insurance Co. of America Newark, New Jersey 1890年竣工、1924年までに増築し7棟(不明) 【参考】(画像出典) |
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ノースウエスターン生命保険相互会社 Northwestern Mutual Life Insurance Co. Milwaukee, Wisconsin 当時増築工事中(現存) 【参考】(画像出典) |
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ヱクヰタブル生命保険会社 Equitable Life Assurace Society of the U.S. New York, New York 1924年竣工(現存) 【参考】(画像出典) |
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ジヨン・ハンコツク生命保険相互会社 John Hancock Mutual Life Insurance Co. Boston, Massachusetts 1922年(現存) 【参考】(画像出典) |
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ミユーチュアル・ベネフヰツト生命保険会社 Mutual Benefit Life Insurance Co. Newark, New Jersey 1924年竣工(現存) 【参考】(画像出典) |
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ナシヨナル生命保険会社 National Life Insurance Co. Montpelier, Vermont (不明) (画像出典) |
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ウエスターン・サウザーン生命保険会社 Western & Southern Life Insurance Co. Cincinnati, Ohio (現存) 【参考】(画像出典) |
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ミユーチュアル生命保険会社 Mutual Life Insurance Co. of New York New York, New York 1883年竣工、後に増築(不明) 【参考】(画像出典) |
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トラベラース保険株式会社 Travelers Insurance Co. Hartford, Connecticut 1927年(現存) 【参考】(画像出典) |
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メトロポリタン生命保険会社 Metropolitan Life Insurance Co. New York, New York 1909年竣工(現存) 【参考】(画像出典) |
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※『生命保険経営』(隔月刊)1930年6月号-1934年2月号の間に19回連載(休載あり)。ネット検索で探した画像を引用しているが、お気づきの点はご教示頂きたい。
アメリカ北東部の会社が多く取り上げられており、都市別に見ると、ニューヨーク(4)、ハートフォード(4)、フィラデルフィア(3)、ボストン(2)、ニューアーク(2)、スプリングフィールド、モントピリアとなる。中西部ではシンシナティ(2)、ミルウォーキー、フォートウエイ、後はカナダのモントリオール、西海岸のロサンゼルスである。
稲田の回想には「帰国を三ヵ月ばかり延ばして、シカゴ、ニューヨークからカナダにかけて視察しました」とある。ニューヨークを始め北東部を中心に、お隣のカナダに寄り、中西部のシカゴあたりまで訪問した、という意味であろう。
ハートフォードは「保険の町」として有名であり、また、フィラデルフィアは稲田が留学していた都市だから、件数が多いのは自然だと思う。
シカゴが入っていないが、生命保険会社で目ぼしいオフィスはなかったようだ(中部アメリカの生命保険会社で、大会社はシンシナティのユニオン・セントラルとミルウォーキーのノースウエスタンだけ、といった記述が連載記事の中にある)。ただ、保険会社に限らず、銀行や他業種のオフィスなども視察していたかもしれない。
1つだけ離れているのが西海岸のロサンゼルスである。ロサンゼルスはサンフランシスコ航路の寄港地になっており、稲田は「米国に視察に行った日本の生命保険事業関係者でこの会社を訪問しない人は少なからうと思ひます」と記している。
少し異質なのは、ボストンのニュー・イングランド生命保険である。Mutual of New Yorkの旧社屋でヴィクトリアンゴシック風の古めかしい建物(19世紀?)を使用しており、稲田も建物として「紹介する程のものは別段ありません」と書いている。建物はさておき、保険会社として稲田が興味を持った会社、ということになる。
取り上げられたオフィスは1920年代のものが多い。ハートフォードのエトナ生命保険は1929年時点で竣工間近(1930年1月に開館式)という状況だったが、竣工前の現場や設計者を訪ねたことは十分考えられる。
※文面からは実際に現地を訪ねたかどうか判断が付かない記事が多い。集めた資料だけで書いた記事が含まれる可能性は考慮しておきたい。
デザインを見るとアメリカンボザール(三井本館や明治生命館似)、コロニアル風、スカイクレーパー等とあって中々興味深い。ファイデリー生命保険は(引用した画像では目立たないが)アールデコの装飾豊かな建物で、現在はフィラデルフィア美術館の別館になっているのも面白い。
また、全体に現存している建物が多いことは意外に感じられる。アメリカ社会が(日本よりは)歴史的建造物に対して敬意を払っている結果ではないだろうか。
個々にはまだ書き足りないこともあるが、あと2社だけふれておく。
連載の第1回に、マサチューセッツ生命保険を取り上げた理由は何だろうか。
当時、アメリカの生命保険会社は業務の拡大に伴って社屋の増築を重ねる会社が多く、超高層ビルを建設する会社もあった。
マサチューセッツ生命保険はもともと商業地に本社を置いていたが、1927年、郊外の幹線道路沿いに新築した社屋(4階建)に移転した。27エーカー(約3万坪)という広大な敷地で、駐車場や将来の増築にも余裕がある。
同社では、建設に先立って社内に建築委員会を設けた(副社長が委員長)。委員会は3年かけて各課長の意見を聴き、アメリカ、カナダの新築のオフィスの視察も行ったという。副社長は「会社側は充分な計画と要求とを研究調査によつて腹案として持つて居なければ、如何に有能な建築家でも神ならざる人間である以上、満足な結果を期待する事は到底不可能である」という意見を持っていた。
これに比べて、明治生命館の新築計画は建築家に任せすぎだったのではないか、というのが稲田の主張だったと思われる(稲田が明治生命館の計画を批判していたことは、前回にも書いたとおり)。
最終回で取り上げたのは、メトロポリタン生命保険である。先に引用した画像は1909年に完成した40階建のタワーだが、同社では1928年にタワーの北隣りに100階建、世界一の超高層ビルを建てる計画を公表した。しかし、翌年の大恐慌の影響で計画は縮小され、1933年に工事を中断した。
稲田は100階建計画や計画変更の経緯については特に記すことなく(掲載誌の読者には既に周知の件か)、計画縮小後のパース図を1枚載せて記事の締めくくりとした。
最後に「そろそろ種切れともなり」と書いているが、ちょうど明治生命館が竣工間近になったことも連載終了の一つの要因かもしれない。
記事の連載(1930年6月号-1934年2月号)と明治生命館の建設時期(1930年5月旧館取壊し、同年9月着工、1934年3月竣工)は、ほぼ重なっている。明治生命館が日々出来上がっていく様子を見ていた稲田にも、感慨深いものがあったと思う。
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