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2020.02.12

OSN136指名設計競技の謎

_meiseiimg_1939 明治生命館を建設する際の指名設計競技(コンペ)については以前の記事でも書いたが、不明な点が多い。
1928年に実施された設計コンペは、近江栄氏の労作『建築設計競技』にも全くふれられていないし、募集要項はどうだったのか、どのような案が提出されたのか、といった具体的な内容はほとんど知られていない。

■社史の説明
明治生命の社史『明治生命保険株式会社六十年史』(1942年)には次のように書かれている。
・明治生命保険株式会社では、関東大震災後の事業の拡大により新社屋の建設を決めた。そのために隣接地も購入した。
・建築顧問の曽禰達蔵に設計を依頼したが、曽禰は設計コンペの開催を主張し、建築家8名を推薦した。
・既存の社屋(旧館、三菱二号館)は関東大震災でも被害がなかった。当初は旧館をそのまま残し、とりあえず隣接地に新館を建てる計画だった。
・応募作品を審査した結果、岡田信一郎案が当選した。
・岡田は旧館を取壊し、敷地一体を使ったオフィスビルの建設を明治生命に進言した。
・岡田の提案が採用されて旧館は取り壊され、現在の明治生命館(1934年竣工)が建てられた。

■建築家の指名
設計コンペに参加する建築家が指名されたのは1928年(昭和3年)の秋(9月か10月上旬)と思われる。『日本建築士』1928年12月号の「某会社の新築設計案募集」という記事がこの設計コンペについてふれている。「某会社」とは明治生命保険株式会社である。

このコンペに指名を受けた建築家は10人だという。『六十年史』には「佐藤功一氏 鈴木禎次氏 渡邊節氏 櫻井小太郎氏 渡邊仁氏 葛西田中事務所 横河工務所 岡田信一郎氏」と8者の名が挙げられているが、岡田が川勝堅一(高島屋)にあてた書簡(昭和4年2月22日付)によれば「横河[民輔]博士、桜井博士、佐藤功一君、葛西[萬司]博士、曽祢中条事務所、鈴木禎次君(松坂屋)、渡辺節君(大阪)、渡辺仁君(東京)、森山松之助君」と岡田の10名が指名され、中條と森山が途中で辞退したとあるので、辻褄は合う。

さて、会社側から交付された「覚書」には「提出したる図案中 取締役会にて満足するものを撰定し其の当選者に実際の設計工事監督を委嘱す」という規定があった。

■日本建築士会の意見書
指名された建築家は1人を除いて日本建築士会の会員だった。同会の会員規約には「適当なる審査機関を具備せざる競技に加入せず」という一項があり、「覚書」のように、建築には素人の取締役たちが応募案の審査をするというのでは、この規約に引っかかる。
日本建築士会は、設計コンペの規定が会員規約に反するという趣旨の意見書を、10月13日付で明治生命に送った。

曽禰達蔵は三菱二号館の建設にも関わっており、明治生命の建築顧問を務めていた。一方、曽禰と同じ建築事務所の中條精一郎と高松政雄は日本建築士会の理事であった(中條と曽禰は事務所の共同経営者、高松はその事務所所員)。
設計コンペの実施を提案し、建築家の人選を行ったのは曽禰だというのだから、「覚書」の内容を事前に知らされていてもよさそうなものだが、そのあたりの事情は不明である。
中條も困惑したことだろうが、「今回の設計に対しては最初当事務所より略案提出致候関係上 内容詳細を承知致居り」他の参加者より有利であるため心苦しい、として設計コンペの参加を辞退した。(『日本建築士』の記事では人名がすべて伏せ字だが、辞退した人物は中條と推測される)

■互選による審査
先の建築士会の意見書(明治生命あて)は、後段で「今回は其提出図案の撰定は図案提出者間に於ける相互審査に依りて等級を決し以て最後の御撰定に資し得る様 御高配願度」と要望している。さらに建築士会は中條以外の建築家9名にも書状を送り、「図案提出者間に於ける相互審査」(「競技者相互審査法」)の実施に協力してほしい旨を訴えた。
これは妥協の提案であろう。既に建築家の指名まで行っている段階で、審査員をこれから決めるという訳にもいかないが、コンペを中止させたくはない。応募者の互選で決めるということにして、会員規約をクリアしてほしい、と明治生命に要望したのである。

明治生命はこの要望を受け入れたのかどうか。『六十年史』の記述は建築士会の意見書にはふれず、「我社は曽禰氏を主査とし、慎重に審議の結果、(略)あらゆる点を綜合して、岡田信一郎氏の設計案を採用する事とした」とあるだけである。だが、建築士会にも関わりの深い曽禰が審査に加わるのだから、建築士会の提案を全く無視する訳にもいかなかっただろう。例えば、参加者に他の応募案を見てもらい、意見を聴く機会を設け、その結果を取締役会に報告した、といったところではないかと筆者(私)は想像しているが、真相はいかに。

(設計コンペの応募案については次の記事に続く)

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コメント

日本建築士会について補足です。

当時の理事(10名)
中條(理事長)、高松政雄(庶務)、出浦高介(同)、加護谷祐太郎(会計)、中村伝治(同)、伊藤文四郎、片岡安、森山、桜井、横浜勉

コンペに指名された10人のうち、横河民輔は建築士会の会員にはなってません。(所員の中村伝治は理事)

岡田は客員、それ以外の8名は正員です。

投稿: 岡田ファン | 2020.02.19 19:20

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