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2018.11.02

蒲原重雄と野上弥生子

野上弥生子の全集で昭和3年の日記を拾い読みしていたら、別荘関連で蒲原重雄の名が出てきた。蒲原は小菅刑務所を設計した司法省の技師である。

昭和の初め、法政大学学長の松室致が北軽井沢に別荘地(法政大学村)を拓き、そこに法政大学の教員らが別荘を建てた。弥生子の夫・豊一郎は法政大学教授で、野上夫妻と家族は大学村開発当初からの住民になった。
法政大学村
Kitap1040021
初めに建った40棟の別荘は蒲原が設計した。
野上弥生子は日記に、「技師の蒲原氏が一軒と同じ家はないやうな奇抜な設計で建てたのださうである」と書いている(1928年7月29日)。


やがて蒲原が軽井沢の野上山荘へやって来た(同年8月22日)。

午後小林氏と蒲原氏夫妻と母堂来訪。蒲原氏は若いが中々しっかりものらしい、気持ちのよい好青年である。頭もずいぶんよいらしい。今小菅の刑務所の改築中にかゝつてゐる由、小菅の囚人の話を少しきく。彼等は十年以上の重刑者で人殺しをしたとかその手助けをしたとかいふものが大部分である。而して大抵初犯者が多い。(…)そんなことをする位であるから重に生一本な熱情家が多い。従つて性質としてはさつぱりしてよい感じの者がをる。(…)それに十年以上と云ふ年月は彼らに自然のあきらめを与へてゐると見え、皆んな落ちついて、血色なども非常によい。今度の改築は一種無邪気な悦びを彼等に与へてゐる。(…)
彼の若い細君も気もちがよい。(…)母さんといふ人もいかにも優しい母親らしい而して下品でない善人に見える。
蒲原が日記に登場するのはこの日だけのようである。
当時の監獄(刑務所)は受刑者自らが建設していたという話は聞いていたが、「一種無邪気な悦び」で仕事をしていたというのは少し意外に感じた。

軽井沢タリアセンに移築されている「野上弥生子書斎」(1933年)は、山荘よりしばらく後に建設されたものである。
軽井沢タリアセン
今も山荘は大学村に残っている。蒲原が設計した山荘の特徴の1つは「垂直面を持つ屋根」であり、野上山荘にもその特徴が見られる。

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