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2018.10.01

OSN128連作小説『旋風』

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岡田信一郎が小説(の一部)を書いていたことがわかった。1926年(大正15年)、週刊誌『アサヒグラフ』に連載された連作小説「旋風」で、小説を本業としない執筆者たちが持ち回りで書いたものである。

朝日新聞社の杉村楚人冠が第1回を執筆し、柳田国男(民俗学者)、鶴見祐輔(後に政治家)、和田英作(洋画家)らが書き継いで、連載終盤の24回を佐藤功一(建築家、岡田の同僚)、25回を岡田が書いた。最後の26回は黒板勝美(歴史学者)の予定となっていたが期限に間に合わず、杉村楚人冠が執筆し、完結させた。

どのような小説なのか、いちおう説明しておこう。新聞記者の松村幸一郎と、幼なじみのお政が主な登場人物である。
戦争(第一次世界大戦)の取材でポーランドのガリツィアを訪れていた松村は、ロシア各地を回る曲馬団の花形スターお政がドイツ軍のために殺された、という報道に驚かされる。その後、実はお政が生きていることを知り会いに行くが、誘拐されてしまう。松村は身代金を払ってお政を救う…といった調子で、ヨーロッパ、アメリカ、日本などを舞台に、刑事やロシアのスパイが登場する荒唐無稽な筋書きである。

柳田国男によると、全体の筋書きは決まっておらず、各自が思い思いに書き継いだようだ(全集27巻)。各人3日で執筆、という厳しい条件だった(単行本の跋文)。

佐藤功一が担当した回(神戸入港)は、シンガポールから神戸に上陸した松村(主人公)のもとへお政の手紙が届く、そこに書かれていた家を探してのぞき込むと監禁されているお政を見つける、というところで終わっていた。
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岡田が執筆した回(マゼスチック・ホテル)の筋書きは次のようなもの。
焦る松村のもとへ刑事が現れ、ここでお政を取り戻すのは無理で、テレマークスキー(ロシアのスパイ)の本拠を突くのが得策だと言う。2人はオートバイで元居留地のマゼスチック・ホテルへ向かう。地下にある秘密結社本部に行くと、テレマークスキーがいて、2人を迎える。そこへ気を失った女性が運び込まれてくる。お政かと思えば驚いたことに松村の妻だった。そのとき一味の男が、お政が連れ去られたという報をもたらすと、テレマークスキーはあわてて出て行く。妻を近くの医師に運んだ後、松村と刑事はテレマークスキーの後を追う。

楚人冠がこの小説をどう締めくくったかというと、いきなり場面が飛んで、お政が北極の上空で飛行機から身を投げ、壮絶な死を遂げるということで完結させたのであった。
真面目に論評するようなものではないが、珍しい顔ぶれによる連作小説ということで、当時は話題になったようである。

さて、岡田ファン的に気になるのは、文中で探偵小説に言及している点である。

私達が高等学校の時代に、英語の学習用にコナンドイルのホルムス探偵談を読んだ事もあつた。又その時分萬朝報に連載された、黒岩涙香氏訳の探偵談を読んだこともあったが、かうした探偵物にはあまり興味を持たなかつた。
これは岡田自身の読書経験を語っているのではないだろうか。
岡田の高校時代と言えば1900年9月から1903年7月まで。少し前だが1899年8月から1900年3月まで、黒岩涙香の『幽霊塔』が『萬朝報』に連載されていた。
当時の日本はホームズ物の受容が始まろうとするところで、何点かの作品が既に翻訳(パクリ?)されていたようである。この頃、ドイルの名がどれほど知られていたのか(高校生も知っていたのか)が気になる。
時間があったら調べてみたい。

(上の画像は楚人冠描く杉村とお政、下の画像は岡田の回に掲載された挿絵で歌舞伎役者の尾上梅幸によるもの。曲馬団時代のお政である)

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