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2018年10月の4件の記事

2018.10.20

志賀直哉邸跡

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杉村楚人冠記念館から5分ほどの距離に志賀直哉邸跡があります。

作家の志賀直哉が1915年(大正4年)から1923年まで過ごした場所です。そう言えば、志賀の小説『和解』で初めて「我孫子」という地名を知りましたが、実際に訪れたことはありませんでした。

既に母屋はなく、公園になっています。
公園の一角にある小さな建物は、『暗夜行路』が執筆された書斎です。
1921年(大正10年)、志賀の設計をもとに、地元の大工(佐藤鷹蔵)が建てたそうです。
志賀の転居後は市内の別の場所に移築され、1987年(昭和62年)にこの地に再建されました。
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すぐ近くの白樺文学館にある志賀邸の模型。

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2018.10.17

杉村楚人冠記念館

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我孫子市の杉村楚人冠記念館に、下田菊太郎設計の住宅が遺っていました。
公式サイト
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平屋建の洋間付き住宅で、関東大震災後の1924年(大正13年)、杉村楚人冠の別荘として建てられました(後に本宅)。
杉村は下田の設計が気に入らなかったらしく、たびたび手を入れています。
一見して目に付く2階建洋館(書斎)は後に増築された部分とのこと。

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2018.10.16

OSN129大道弘雄への便り

岡田信一郎が大阪朝日新聞の名物記者と言われた大道(おおみち)弘雄に宛てた書簡を紹介したい。
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大道弘雄(1888-1961)は大阪天満天神の社家(世襲の神職)の生まれで、國學院大学の出身。同窓の折口信夫(民俗学者)とは友人だった。
(天満宮の画像はWikipediaより拝借)
里見弴の小説「新聞記者にして殿上人」(小説新潮1964.12)に出てくる「O君」は大道がモデルである。「O君」は賽銭その他の上がりで十分暮らせる身分で、新聞記者としての仕事は一切せず、ただ東京などから京都へやってくる芸術家、実業家らの接待役をするのが仕事だった、ということになっている(ただし、大道は後に朝日の出版編集部長に昇進しており、接待ばかりやっていたとも思えないのだが…)。
大道は美術関係などの著作を残しており、古代裂の収集家でもあった。

日本近代文学館では、大道の遺族から寄贈された書簡類を「大道弘雄コレクション」として所蔵している。小山内薫、谷崎潤一郎、木下杢太郎といった作家や石井柏亭ら美術家の書簡のほか、岡田信一郎の絵はがき等も含まれている。
岡田のものは1914年(大正3年)から1929年(昭和4年)までに出された9通で、ふざけた内容も多く、気のおけない間柄だったことがうかがわれた。

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2018.10.01

OSN128連作小説『旋風』

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岡田信一郎が小説(の一部)を書いていたことがわかった。1926年(大正15年)、週刊誌『アサヒグラフ』に連載された連作小説「旋風」で、小説を本業としない執筆者たちが持ち回りで書いたものである。
朝日新聞社の杉村楚人冠が第1回を執筆し、柳田国男(民俗学者)、鶴見祐輔(後に政治家)、和田英作(洋画家)らが書き継いで、連載終盤の24回を佐藤功一(建築家、岡田の同僚)、25回を岡田が書いた。最後の26回は黒板勝美(歴史学者)の予定となっていたが期限に間に合わず、杉村楚人冠が執筆し、完結させた。
どのような小説なのか、いちおう説明しておこう。新聞記者の松村幸一郎と、幼なじみのお政が主な登場人物である。
戦争(第一次世界大戦)の取材でポーランドのガリツィアを訪れていた松村は、ロシア各地を回る曲馬団の花形スターお政がドイツ軍のために殺された、という報道に驚かされる。その後、実はお政が生きていることを知り会いに行くが、誘拐されてしまう。松村は身代金を払ってお政を救う…といった調子で、ヨーロッパ、アメリカ、日本などを舞台に、刑事やロシアのスパイが登場する荒唐無稽な筋書きである。
柳田国男によると、全体の筋書きは決まっておらず、各自が思い思いに書き継いだようだ(全集27巻)。各人3日で執筆、という厳しい条件だった(単行本の跋文)。

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