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2018年8月の3件の記事

2018.08.27

九段kudan house(旧山口邸)

九段にある旧山口萬吉邸のリニューアル工事が完了し、9月から九段kudan houseとしてオープンするそうです。

オープニングイベントがあります。
公式サイト

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2018.08.26

見定二郎 余滴

以前の記事(小池駸一)で見定二郎について書いた。ロシアとの開戦後間もない明治37年(1904年)2月、病気で急逝した一高生で、倉田謙の弟である。岡田信一郎の2学年下になる。
だいたいのことは以前の記事に記してあるが、いくつか補足しておく。

〇画学会
見定が画学会に入っていたことも以前書いた。
東京大学の駒場博物館には、画学会の作品集が6冊遺されている。年代がはっきりしないものもあるが、明治27年から36年頃に作られたものである。
ここから、お題(テーマ)を決め、それに沿って各人が作品を描き、相互に点数を付ける、という方式で活動していたことがうかがえる。お題の例として「冬籠」「一刻千金」「くるしみ」などがある。

私(筆者)は、岡田信一郎の絵があるかもしれないと思って博物館を訪れ、資料を見せていただいた。
『題画集 卅六年四月廿八日 卅五年九月十二日 画学会』と表紙に記された冊子は、ちょうど岡田が在校していた当時のもの(明治33年9月-36年7月に一高在校)であるが、作品の大半には署名がなく、何とも判断ができなかった。

ただ、その中に「ジロウ」と記された絵が4点あった(「喜悦」「アベコベ」「呑気」「画学会」)。見定二郎による作品かもしれない。
見定の在校期間は明治35年9月-37年2月なので、年代的には重なっている。ただし、ジロウという名の学生は何人かいるし、断定はできない。確認する方法はないものだろうか。
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2018.08.25

OSN125倉田謙のこと

前回の記事(岡田の同級生)を書いたのは、『工業大辞書』の執筆者の中に倉田謙がいるのに気づいたことがきっかけである。書いているうちに倉田の卒業後の進路がはっきりしてきた。
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倉田は九州帝国大学の校舎群を数多く設計している。近年、九州大学のキャンパス跡の整備方針が決まり、校舎の一部が保存されることになった。設計者として倉田の名前も、以前よりは知られてきたように思う。
しかし、倉田の具体的なことはほとんど不明のままである。

倉田の弟、見定二郎が早世した話は以前別の記事(小池駸一)で書いたが、兄弟で姓が異なる点がまず気になる。

倉田の父は倉田伋作という。『改正初学算術教科書』(1888年)、『幾何学』(1891年)などの編著があり、数学者だったと思われる。
倉田家は本郷区元町に500坪の土地を持っていた(地籍台帳による)。昭和初期の火災保険地図を見ると、木造長屋の家屋が建ち並んでおり、不動産からの収入もあったようである。
父がいつまで存命だったのか不明だが、『日本紳士録』を見ると29版(1925年)まで掲載があり、30版(1926年)では見当たらなくなる。

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