« OSN122工業大辞書(続) | トップページ | OSN124岡田の同期生 »

2018.03.23

OSN123工業大辞書(完)

Order
『工業大辞書』の目録編纂が始まったのは1905年12月頃という(前の記事)。
1905年と言えば、岡田信一郎は大学3年生であり、どこまで関わったのか不明だが、翌年9月、大学院に進む頃には、先輩の大熊喜邦を手伝い、積極的に関わるようになったのではないか。
1908年1月(推測)に記事を分担し、執筆が始まると、前記のとおり岡田も多くの項目を担当している。
(画像はオーダーの挿図)

第1冊(あ~え)の刊行は1908年8月を予定しており、かなり忙しい日程で作業が進められたはずである。
だが、岡田自身も大学院に籍を置きながら、工手学校、東京美術学校、日本銀行、建築学会役員など多くの仕事を抱えていた(以前の記事「卒業後の状況」を参照)。次第に執筆が困難になっていったのではないか。

途中から前田松韻、松井清足、倉田謙らが参加しており、岡田が執筆する予定だった項目を複数で分担したと想像される。

ちょうど第2冊(え~き)が刊行された頃(1909年9月)、岡田は病気で長期療養を要する状態になり、建築学会の役員を辞任している。また、日英博覧会嘱託として洋行する予定であったが、その機会も逃してしまう。
年明けには小田原へ静養に出かけ、3月頃まで過ごしている。同年5月刊行の第3冊(き~け)にある項目(希臘建築など)は、病気で倒れる前に執筆済みだったものだろうか。

それ以降では、岡田の執筆項目は第5冊の城堡建築と、第7冊のノルマン建築のみである。
結果的に『工業大辞書』への関わりは中途半端な感じになってしまい、岡田にも悔いが残ったことであろう。

『工業大辞書』は100年以上前の辞典ということになるが、西欧諸国の科学、技術を学び取り、追いつこうとする明治人の苦闘を偲び、当時の学問の水準を知る目的で読むのも、中々興味深いことである。

(余談)
大熊喜邦が執筆した項目に議事堂建築(第3冊)がある。
大熊は目録作成中の1907年(明治40年)、大蔵省臨時建築部技師に就任している。以後、議事堂の建築計画に関わり、各国の資料をまとめていた。1908年から翌年にかけて、上司の矢橋賢吉は武田五一とともに欧米の議事堂建築の視察に出ており、実現を目指して準備が進んでいた。
一方、辰野金吾らは大蔵省主導の計画に反対し、設計コンペの実施を主張していた(「議院建築の方法に就て」建築雑誌1908.3)。第3冊の刊行(1910年5月)当時はちょうど、(議事堂の建築様式を念頭に置きつつ)日本にふさわしい建築様式は何かが建築学会で議論されていた(「我国将来の建築様式を如何にすべきや」建築雑誌1910.6)。
周囲が騒がしい中での執筆だったろうが、大熊は各国の議事堂の平面計画、外観、装飾、音響、設備などを比較しながら淡々と論じている。(ここには矢橋らが視察で得た成果も含まれているのだろう。)

大熊は他にも、住宅建築、継手など多くの項目を執筆しており、目録の作成から一貫して、『工業大辞書』の建築部門をまとめるうえで大きな役割を果たした様子がうかがえる。


(補足)『大日本百科辞書』刊行の経緯
1900年、同文館社長の森山章之丞が海外視察に出かけ、ドイツでBrockhaus Enzyklopädieを出していたブロックハウス氏から「日本語で百科辞書を出したい」と持ちかけられた。森山は、外国人に頼らず独力で出版しよう、と決心して帰国し、『大日本百科辞書』を企画したという(同文館の社史『風雲八十年』p70より)。
森山は分野別の百科辞書を出版する方針を立て、1905年(明治38年)以降、「商業」「医学」「教育」を順次刊行し、4番目となったのが「工業」である(以後、「哲学」「法律」「経済」等と続く)。
なかなか壮大な構想だが、当時、三省堂や富山房も後を追うように百科事典を刊行しており、一種のブームのようだった。

『工業大辞書』の刊行中、アクシデントもあった。
第7冊の刊行を控えていた1912年12月、同文館の資金繰りが悪化し、倒産してしまったのである。(第6冊と第7冊で刊行の間が空いているのはそのため。)
博報堂などの支援を受け、会社を法人化して再建し、1913年に『工業大辞書』が完結した。
(倒産のことは前回説明しておくべきところだったが、話がややこしくなるため後回しにした。)

|

« OSN122工業大辞書(続) | トップページ | OSN124岡田の同期生 »

コメント

思いつきですが、執筆者は主に大熊喜邦が依頼したのかも…?
伊東、関野、塚本、中村(達)といった博士連を別にすると、

北村、佐藤、佐野、松井=大熊の同期(M36卒)
中村(伝)(M37卒)、葛野(M38)=横河工務所の同僚
といったあたりは、大熊ルートの人選か?と想像されます。

投稿: 岡田ファン | 2018.03.28 21:51

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« OSN122工業大辞書(続) | トップページ | OSN124岡田の同期生 »