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2017.07.25

OSN120小池駸一(続)

卒業式の終わったある日(1906年7月19日)、小池駸一と岡田信一郎は偶然日本橋で会った。
小池日記には「共に丸善まで行き、ここにて別れ帰る」といった簡単な記述のみであるが、おそらく就職のことが話題に上ったことだろう。小池は同郷の古市公威博士に就職のあっせんを依頼し、返事を待っている状態であった。岡田の方は警視庁(嘱託)に内定していたはずである(翌20日付で辞令)。
7月末になって、小池は韓国の京義線に就職口を紹介され、ここに決めた。10月14日に新橋を立ち、18日に京城(ソウル)に着いた。勤務先は杻峴(仁川の近く)にある鉄道建設部工務課であった。

小池は1913年(大正2年)1月、鉄道院に勤めることになり、東京に戻った。
1927年(昭和2年)には役所勤めを辞め、池上電鉄の技師になった。

岡田は1932年(昭和7年)に亡くなるが、訃報を聞いた小池は護国寺での葬儀に参列している(4月6日)。

大学卒業後、岡田と小池が何かで顔を合わせる機会はあっただろうか。それとも丸善での別れが最後だったのだろうか。
これまで読んだところから察すると、共通の友人はいるものの、特別親しかった訳ではなさそうだ。20年分の日記を読み通すのは、中々躊躇されるところである。   

その他、小池日記の中で(岡田関係以外に)興味深く感じた点をいくつか書いておく。

■本郷カフェー
日本初のカフェーとされるのは1911年(明治44年)開業のカフェープランタンであるが、これに先駆けて、「カフェー」の名を冠していた本郷カフェーという店がある。
学生の小池はここでカレーやビフテキを食べたり、弁当を買ってたりしている(1902.9.15、1903.6.25、1904.6.14等)。カフェープランタンとは異なり、どうも学生相手の食堂といった趣きである。
(本郷カフェーについて、斎藤光の論文「ジャンル「カフェー」の成立と普及(1)」(PDF)に言及がある)

■酒井忠興伯爵
姫路出身の小池家にとって、酒井伯爵は旧藩主にあたる。学生時代の小池は酒井家から学資金を貸与され、また巣鴨の酒井邸で開かれる会合に度々出席している。
その一つは千瓢会で、おそらく同郷の学生たちの親睦会かと思われる。小池は高校3年(2度目)の4月に入会し、まもなく会の幹事になっている。また、八幡会という射的の会もあった。ある日の八幡会では、夕食後にピアノ、バイオリン等の演奏があり、伯爵の酒井忠興がクラリネットを吹いた。12時を過ぎてしまい、「もうお止めになっては」と言われた伯爵が怒り出したというのがちょっと面白い(1905.2.11)。伯爵といっても忠興は明治12年生まれで、小池とは3歳しか違わない。

■結婚
小池が結婚するのは1909年(明治42年)のこと。当時の小池は韓国の鴨緑江出張所で架橋工事にあたっていた。話がまとまり、結婚のため帰京する直前の10月26日に、伊藤博文暗殺事件が起きている。
日本に着いた小池は10月30日に相手の倫子と会う。これが初対面であった。
11月5日に伊予絞(上野の料理屋)で式を挙げ、江ノ島へ新婚旅行に行った後、妻を伴い韓国へ戻っている。

■野溝七生子
小説「山梔」「女獣心理」等を書いた野溝七生子というひとがいる。私(筆者)は未だ読んでいないが、今も熱心な読者がいるようだ。
七生子の姉は、小池の妻・倫子の友人であった。この縁で、東洋大学に通う七生子が一時期、小池家に下宿をしたことがある(この頃は小石川区小日向台)。七生子の第一印象を、小池は次のように記している(1921.11.4)。
「男などは眼中にないといふ豪傑風なのには驚かされた」

(大学卒業後の分は飛ばし読みである)

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