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2017.06.30

OSN118森鴎外

以前に夏目漱石のことにふれたので、森鴎外についても書いておきたい。

森鴎外と岡田の父(岡田謙吉)は、同じ陸軍衛生部で石黒忠悳が上官、という共通点があり、お互いに顔見知りであったのではないかと想像している。ただし、鴎外も岡田謙吉については特に書き残していないようで、具体的なことはわからない。
Isiguro
岡田信一郎が森鴎外に最も接近した可能性があるのは、松本順・石黒忠悳像の制作のときである(この銅像については、鳩山和夫像の項で少しふれた)。

石黒忠悳像の制作を任されたのは、1909年(明治42年)にベルギー留学から帰国したばかりの武石弘三郎である。紅葉館(芝公園)で行われた武石の帰国歓迎会に、同郷の石黒忠悳が出席しており、石黒から銅像建設の計画があることを聞かされたという。
銅像は、軍医総監の森林太郎を中心に、陸軍衛生部が発起したものである。

鴎外は石黒像の出来具合を気にかけ、武石のアトリエを度々訪れている.(『武石弘三郎ノート』)。
この銅像の台座部分(写っていない)は岡田が設計しているので、鴎外と打合せの機会があったかもしれない。ただし、今のところ記録が見当たらず、岡田が除幕式に出席したかどうかも不明である。

このほか、1913年に発足した国民美術協会では、鴎外(当時、文展審査員であった)と岡田がともに学芸部に所属しているが、これも詳しいことはわからない。

接点がありそうだが確証はない、という話ばかりでモヤモヤするが、いずれ史料が見つかることもあるだろう。

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