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2015.04.18

OSN108弟、捷五郎の外遊

岡田信一郎は以前にも記したように病弱なため、海外へ行くことができずじまいであった。
弟、捷五郎の回想によれば、岡田は(外国の町の)「どこにどんな家があるとか、行かないくせによく知って」いたということである(「岡田と洋行(続)」)。
海外の文献を調べ、地図で所在地を探していたのだろう。勉強家で負けず嫌いの岡田らしいエピソードである。

その兄に代わり、弟の捷五郎は1924年から1926年にかけて欧米へ建築視察の旅に出かけた。これは早稲田大学大隈記念講堂などの設計コンペで得た賞金を基にしたのである。
当時、捷五郎は兄の建築事務所を手伝っていた。関東大震災の翌年で、復興建築の依頼が相次ぎ、事務所は多忙な状況であった。しかし、それ以上に海外を見ておくことが必要と考えたのであろう。
岡田は喜んで弟を旅に出した。

この旅については、履歴書(1965年)に「大正十三年十一月より大正十五年一月迄欧米各地の建築視察のため外遊」と記されている程度で、具体的な訪問先などはほとんど不明であった。

同時期にヨーロッパを訪れた建築家の記録を参照し、捷五郎の旅のアウトラインを描いてみたい。

捷五郎は横浜から箱根丸に乗ってヨーロッパを目指した。見送りのときの様子は別の項でも紹介したが、清水組設計部の小笹徳蔵(後に清水建設副社長)が同船だったようである。(「関西への旅」)
Okap1160300
日本郵船のヨーロッパ行きの船は2週間に一度の出航で、横浜からロンドンまで約50日かかったという。(参照:時刻表歴史館

大正末から昭和初め(1924年-1936年)、12年かけて世界を一周した小山秀子という女性(元幼稚園長)がいる。
捷五郎と同じ年に出発しているので、手記「地球を廻りて」を参考に、当時の船旅の様子を見ておきたい。
小山秀子が神戸で箱根丸に乗船したのは1924年4月16日(捷五郎より半年ほど前)。
門司を出た後は、上海(4/20-22)、香港(4/24-25)、シンガポール(4/29-5/1)、マラッカ(5/2)、ペナン(5/3-4)、コロンボ(5/8)に寄港しており、小山はそれぞれの都市で名所めぐりを楽しんでいる。
エジプト(5/18-19)ではホテルに泊まり、ピラミッド見学などをしている。
5月20日、船はマルセイユに到着。小山はここで船を降り、鉄道で旅を続ける。

小山の場合、神戸からマルセイユまで35日かかっている(上海は1日遅れで出発)。
捷五郎が神戸を出発したのは11月9日であった。捷五郎がピラミッド前で撮影した記念写真が残っており、航路の途中で立ち寄ったのであろう。(予定通りなら12月11日前後か?)
エジプトを出てまもなく、マルセイユに着いたはずだが、どこの港で船を降りたかは不明である。
捷五郎と同船だった小笹は、大晦日にはロンドンにいたという。捷五郎もあるいはロンドンにいたのかもしれない。
(次項に続く)

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コメント

資料の引用、ありがとうございます。少数ですが、新たに写真をアップロードしております。ご査証ください。

投稿: Koyama | 2016.01.05 12:21

コメントありがとうございます。
当時の船旅の様子が具体的に紹介されていましたので、大変参考になりましたm(..)m
http://koyama-globe.sakura.ne.jp/

投稿: 岡田ファン | 2016.01.05 22:55

この頃の欧州航路に関する書籍が出版されています。ご参考になると思います。このピラミット写真のことも触れられています。

「欧州航路の文化誌 寄港地を読み解く」(橋本順光他、青弓社 2017年1月刊行)

http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-2069-1

投稿: | 2017.02.21 21:21

コメントありがとうございます。
新刊ですね。今度読んでみます。今の飛行機での旅とは違い、途中の寄港地での見聞もインパクトがあったことと思います。
だいたいピラミッド見学に行くのが定番だったようですね。


投稿: 岡田ファン | 2017.02.22 00:04

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