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2015.03.16

OSN105『二つの庭』の稲田信一

Chujop1160384
終戦後の1947年、宮本百合子の自伝的小説『二つの庭』が「中央公論」に連載された(翌年、単行本化)。
この中に「稲田信一」という建築家が登場する。「有名な赤坂の芸者であったひとを細君にした」というから、明らかに岡田信一郎がモデルである。

小説は1927年(昭和2年)、百合子(数え29歳)と湯浅芳子との同居生活と、実家である中條家の人々の様子に、芥川龍之介の自殺などのエピソードをはさみながら、百合子と湯浅が革命後のモスクワに旅立つまでを描いている。材料の多くは実際にあったことらしい。
表題は中條家の庭と百合子・湯浅の家の庭の意味である。運転手付きの自家用車に象徴される中條家のブルジョワ的な生活が批判的に描かれており、特に母親に対する目は厳しい。母は、家庭教師の若い男と「結婚しようかと思っている」と告白して、主人公を驚ろかせる。
弟の中條国男は「母は小説に書かれているあのとおりの人でしたよ」と語ったという(中村智子「宮本百合子」)。

さて、「稲田真一」は主人公・伸子の回想シーンで登場するのだが、その少し前から紹介する。
伸子(作家、百合子)は、中国から留学した女学生を招いた新聞社主催の茶話会に出席する。演壇に立った早川閑次郎(長谷川如是閑)は、論語の「女子と小人は養いがたし」を引用し、女は男に養ってもらうのが幸福だ、などと女性蔑視の発言をする。女学生たちは不満そうで、会場は重苦しい空気になる。
その会合の帰り道である。

伸子は何年もの昔、まだ十六七だった自分が(…)牛込のある町を女中と一緒に歩いていたときのことを思い出した。それはまだあかるい夏の夕方であった。(…)
伸子の父の年下の友人で、稲田信一という建築家があった。その人は、江戸ッ子ということを誇りにしていた。角ばって苦みばしり、眼のきつい顔に、いくらかそっ歯で、せまい額の上に髪を粋な角刈めいた形にしている人であった。牛込に住んでいた。そこへ使いにやらされた。(…)
百合子は「稲田」の風貌をかなり細かく書いているが、褒めているのか、けなしているのかよくわからない。「牛込」とあるとおり、当時の岡田は牛込区薬王寺町に住んでいた。 「十六七」と言うと、1915年(大正4年)夏の出来事かもしれない。この年の日記は欠けている。
稲田の客室に通された。切下げの老母が出ての、そつのない応待に、伸子は、いいえとか、そうでございます、とか短く答えた。
泰造(注:主人公の父)への返事の手紙を書き終ると、稲田は伸子に珍しい写真画集を見せた。世界名画の中から、婦人画家の作品ばかりを集めたものであった。伸子はよろこんで、
「あら、ロザ・ボンヌール!」
「馬市」を見出して顔をかがやかした。父のもっている色刷りの名画集で、伸子は「馬市」を見て覚えていたのであった。その本には、ボンヌールのほかにマリ・バシキルツェフとかイギリスの婦人肖像画家とか伸子の知らないたくさんの婦人画家の傑作が集められていた。
ローザ・ボヌールは19世紀フランスの画家で、「馬の市」(1855年)が代表作である。(Wikipedia
「面白いですか」
「面白いわ、こんなに大勢女のひとの絵かきがいたのね」
稲田はぴたっとした坐りかたで、煙草をふかしながら、一枚一枚と頁をくっている伸子を眺めていた。やがて、
「伸子さん、その本あげましょうか」
といった。
「ほんと?」
「あげますよ。僕にはどうせいらないもんだから……。たかが女の絵かきなんて、どうせたいしたことはないんだからハハハハ」
伸子は、涙ぐむほど、傷つけられた。熱心に見ていたよろこびが嘲弄されたように感じられ、ぎごちない娘である自分がそれをよろこんでいることが恥しめられたように感じた。そんなに思っている本なんか、ちっとも貰いたくない。むきにそう思った。けれども、そのままを言葉に出してことわることも出来なくて、その分厚い本を女中にもってもらって帰って来た。そして、もう二度と稲田のとこへなんか行かないと心にきめた。
小説であり、実際にこの通りのやりとりだったのか、わからないが、これに近いことがあったと想像される。「たかが女の絵かき」と言われて主人公が怒るのも無理はない。もう少し言い方がありそうなものである。(岡田の毒舌については、以前にも書いた。)
今になって大人の女となった伸子として思えば、それは、稲田の毒舌と知人の間になりひびいていたその人のいいそうなことであったし、稲田の都会人らしいてらいや弱気のあらわれとも考えられた。しかし、一人前の男が、十六七の小娘にどうしてそんな態度をとらなければならなかっただろう。(…)
稲田信一や早川閑次郎の女に対しての毒舌と辛辣さは、結局裏がえされたフェミニズムの一種だということは、ちかごろは伸子にも理解される。けれども、男のそういう態度ポーズはやっぱり伸子に若い女としての反撥をおこさせた。
主人公の言い分もあるが、早川の暴言(公的な場での発言)と、稲田の悪気のない毒舌を同列に扱うのはちょっと違うのではないか。元芸者と結婚したことをわざわざ書き添えている点も悪意が感じられる。

作者がこの小説に岡田らしき人物を登場させた意図は何だろうか。故人をことさら貶めるつもりではなく、30年以上も前のことへのちょっとした仕返しだったのかもしれない、などと自分は想像しているが、どうだろうか。
(画像は、千駄木5-20に残る中條家の門。)

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コメント

中條家の運転手つきの自家用車という点で気が付いたのですが、
中條氏はご自身で運転して通勤していたそうです。
ドイツのアドラーという車で今でいう軽自動車に乗っていたそうですよ。

座席の極めて狭いので運転手つきというのは誇張かもしれません。

はたして、もう一台車をお持ちだったかは解りませんが・・・・・

投稿: | 2015.03.29 02:54

コメントありがとうございます。
中條家が自動車を買ったのは震災後らしく、精一郎さんが55歳の頃ですから、運転技術をマスターするには少し年をとりすぎているような気がします(?)。
長男の国男さんは、オートバイや車を運転していたようです。
いずれにしても、「江井」という運転手がいたそうです。(小説では江田)

(引用)関東の大震災の後、復興のために自動車の輸入税が一時廃止された。
「買うならこういう機会だね(略)しかし、贅沢な車は駄目だよ。第一、門が入りゃしない」
伸子の知らない幾晩かの相談の末、イギリスのビインが買われた。小型の黒い地味なビインにふさわしく、小柄で律気な機械工出の運転手の江田が通いで雇われた。(ここまで引用)

ビインとありますが、実際はドイツ車でしょうか。
中條家は路地のような狭い通路を入ったところにあったので、軽自動車にしたのでしょう。

投稿: 岡田ファン | 2015.03.30 23:54

「自動車大観」(1935)という本に当時の自動車所有者の名簿が載っており、中條さんの車種はビーンだそうです。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107720
(P60、59コマ)

投稿: 岡田ファン | 2015.04.01 00:23

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