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2015.03.05

OSN102もう一つの岡田別邸

前回、鎌倉の岡田別邸について書いたが、岡田信一郎はこの他、熱海(塩見場)にも別荘を建てている。
当時を知る人の話によれば、母親のために建てた別荘で、温泉を引いた浴室から海を一眺できたという。
設計図面は残っているが、住宅はだいぶ前に建て替えられたようである。

岡田はなぜ2つも別邸(荘)を建てたのだろうか、というのが1つの疑問である。
もちろん、経済的に余裕があったから建てられたのではあるが。

鎌倉の土地は関東大震災前の1923年(大正12年)1月に購入している。住宅は2階建で、外観は和風のように見えるが、主要な部屋は洋室になっており、奥の方に和室があった。岡田の弟妹には子どもが多く、鎌倉の別邸によく遊びに来たという。
静子夫人や親戚の子ども達とくつろいで過ごすことが、鎌倉の別邸の主な目的だったようである。

熱海の土地は1928年(昭和3年)に購入している。住宅を建てたのは岡田の晩年らしく、岡田自身はほとんど行けなかったということである。
岡田は1931年春頃から病床に就くようになり、翌年4月に亡くなった。別荘の完成は1930年か31年頃と推測される。設計図面を見ると、熱海の別荘は純和風、平屋建の住宅である。(注*)

岡田が亡くなった後の1934年、鎌倉の別邸は人手に渡った。処分の直接の理由は、おそらく、母親(姑)と静子夫人の家(六義園近くの大和村にあった)を新たに建てるためであろう。
一方、熱海の別荘は1943年まで静子夫人が維持していた。

ここで2つ目の疑問は、遺族はなぜ先に鎌倉の別邸を処分したのだろうか、ということである。鎌倉の方が東京から近いし、静子夫人にとって岡田との思い出も多かったはず、と思うのだが…。

ただ、岡田の母親の立場で考えてみると、洋風の造り(鎌倉)より純和風の造り(熱海)の方が過ごしやすかったのかもしれない。自分のために建ててくれた家、という思い入れもあったであろう。
静子夫人は母親(姑)の意向を考え、熱海の別荘を残すことにしたのではないか、というのが自分の想像である。

(注*)実は、「岡田邸(熱海別荘)」のものとされている設計図面が、本当に岡田の別荘なのか、という謎が残されている。設計図面には「熱海別荘」と書かれているだけで、施主の名が記されていない。この点も機会があれば別に書きたい。

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