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2014.12.30

OSN099徴兵制度

岡田信一郎は兵役に就いていないので、特にふれるまでもないのだが、当時の徴兵制度はどのようになっていたのかが気になっている。(以下、日露戦争前後の制度を中心に述べるが、不十分な点もあると思うので、ご教示いただきたい。)

岡田のように、大学を出て教職にあれば兵役は免除になるのかと思っていたが、そうではなかった。

もとは官公立の師範学校・中学校以上の卒業生は、平時には免役されるという規定があったが、1889年(明治22年)の改正によりなくなった。
高等教育を受ける者の特典として、就学期間中の徴集猶予(徴兵検査の延期)や一年志願兵(兵役3年のところを1年に短縮)の制度があった。

東京美術学校教授だった古宇田実は、1906年7月まで大学院に籍を置き、猶予を受けていた。猶予が切れ、一年志願兵に申し込もうとしたが間に合わなかった。古宇田は1907年末に召集されて、3年の兵役に就くことになった(ただし、途中で病気除隊)。
岡田は古宇田の代わりに美術学校に呼ばれたのである。

徴兵検査は前年12月1日から11月30日までに満20歳となる男子を対象として、6月に行われる。
岡田は1903年11月に満20歳となるから、原則通りならこの年6月に検査を受けるところである。ただし、この年7月が高校卒業で、大学受験を控えていたから、おそらく徴兵検査を猶予する手続きを取ったと思われる。
その翌年が日露戦争で、大学講師の大澤三之助も召集された。大澤は国内勤務だったが、同世代で戦地に赴く者も多く、岡田も思うところがあったに違いない。

岡田は1911年(明治44年)7月まで大学院に籍を置いていた。この間に徴兵検査を受けたと思われるが、時期は不明である。1909年秋頃には決まっていた英国出張を断念するほどの大病をしており、結果はおそらく不合格(丙種以下)だったのでは、と推測している。

なお、だいぶ後の話だが、弟の捷五郎は一年志願兵として赤羽の工兵隊に入隊している。また、明治生命館建設中、満州事変後の1932年2月、満37歳にして召集を受けているのだが、この話は別の機会にしたい。

(余談)文学者については様々に経歴の詮索が行われているが、徴兵に関してふれたものは意外に少ないようだ。
岡田前後の世代で猶予を受けた人物の例を挙げてみよう(原田敬一「国民軍の神話-兵士になるということ」などによる)。

柳田國男(1875年7月生まれ)
1900年に東京帝国大学を卒業後、農商務省を経て法制局に勤務。28歳の1903年(明治36年)に検査を受け、丙種であったという(近視のため?)。当時は内閣法制局参事官(奏任官)で、大学院法科にも籍を置いていた。

志賀直哉(1883年2月生まれ) 岡田と同年生まれ
兵役を嫌い、形だけ大学に籍を置いていた。「白樺」創刊と同じ1910年(明治43年)6月、満27歳で徴兵検査を受け甲種合格。市川の砲兵聯隊に入営したが、8日後に除隊した(風邪のため?)。
何とか兵役を逃れようと軍医の伝手を探すなどした様子が「徴兵忌避」(未定稿、全集補巻2)に書かれている。

高村光太郎(1883年3月生まれ) 岡田と同年生まれ
東京美術学校卒業後、アメリカに留学し、1909年(明治42年)6月に帰国した。同年8月、満26歳で徴兵検査を受け、丙種であった。体格はよかったので本人も意外だったが、検査後、司令官から「森閣下によろしく」と声をかけられた。
「森鴎外が心配して、本人には知らせず、ひそかに徴兵検査官に話をし、特別な手配をしてくれた」ためだという。(「日本文壇史」、「光太郎回想」) 

谷崎潤一郎(1886年7月生まれ) 岡田の3歳下
1911年7月、学費未納で東京帝国大学を退学となる。翌年、京都へ行き、祇園などで遊ぶうちに徴兵検査の期限が迫ってきた。神経症のため汽車に乗れず、6月末にようやく東京へ戻り、7月に徴兵検査を受けた(この年7月で満25歳)。結局脂肪過多症で不合格(丙種?)になったという。

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コメント

(付記)
師範学校を卒業し、小学校教員になった者は兵役期間を6週間に短縮する制度もありました(徴兵令13条、岡田には関係ありませんが…)。

徴兵令第22条には「徴集ニ応スルトキハ其家族自活シ能ハサルノ確証アル者ハ本人ノ願ニ由リ徴集ヲ延期ス」とありますが、どういう運用をされていたのでしょうか。
在校生の徴集猶予は第23条です。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/798383/18

投稿: 岡田ファン | 2014.12.31 00:04

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