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2014年11月の12件の記事

2014.11.28

呉服座

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昔の芝居小屋(金丸座、康楽館など)に興味があり、見て回ってきました。かつては全国にあったはずの芝居小屋も、残っているのはごくわずか。それも遠隔地が多いので、中々大変でしたが、明治村の呉服座(くれはざ)でようやく一回りした感じです。

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この時期で、さすがに寒かったですが、昔の芝居小屋は寒さを上回る熱気があったのでは…と想像しました。

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2014.11.27

帝国ホテル

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ちょうど明治村に行くことにしていたので、F.L.ライトの帝国ホテルを見てきました。

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関東大震災(1923年)と同年に竣工したライト館が取り壊されたのは1968年のこと。
明治村に玄関部分が再現されたのは1985年です。30年近くが経過して、外観の風合いは中々よくなってきたようです。

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内部空間はロビー、ラウンジ付近のみですが、ライト館の雰囲気は出ています。
よく見るとテラコッタの装飾がずれているのが気になりますが。

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裏手にオリジナルの部材が置いてありますので、こちらもご覧ください。

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2014.11.26

加地別邸

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遠藤新設計の加地別邸(1928年)が11月末まで公開されているので見てきました。
公式サイト

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住宅の中に段差がたくさんあって、バリアフリー的に言うとどうなのかわかりませんが、多少段差があった方が健康にいいのかもしれません。

「暖炉廻りの詳細」(住宅建築別冊5、1981年)の表紙は加地別邸の暖炉だということです。

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建築に興味のある方は見ておいた方がよいと思います。

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2014.11.25

迎賓館と四谷見附橋

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迎賓館赤坂離宮の前庭が公開されていたので見てきました。
外観だけ見ても、さすがに見事な作品です。
公式サイト

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元は東宮御所として、皇太子(後の大正天皇)のために建てられました(1909年竣工)。東宮御所が完成した後、設計者の片山東熊が明治天皇に報告に行ったところ、「贅沢過ぎる」と言われ、ショボンとなったというエピソードがあります。「そういうことは最初に言えよ」っていう感じもしますが。

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近くにある四谷見附橋は、東宮御所との調和を意識したと言われています。
橋自体は道路拡幅により架け替えられました(1991年竣工)が、高欄、橋灯は当時のものを使用しています。(鉄橋の本体は八王子市の長池公園に移設)
参考:四谷見附橋の移設工事

四谷見附橋は市区改正事業の一環で架けられたもので、1913年(大正2年)竣工。東京市営繕課長の田島穧造が装飾デザインに関与したと言われます(前出、伊東忠太の追悼文)。
また、福田重義がデザインしたという話もあります。福田は1908年(明治41年)帝国大学卒。東京市に入り、当時は田島の部下でした。開港記念横浜会館(横浜市開港記念会館)の設計コンペ(1913年)に1等当選したことでも知られています。

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2014.11.22

ジブリの立体建造物展

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江戸東京たてもの園で「ジブリの立体建造物展」が開催されています(藤森先生監修)。会期は12月14日までと書こうとしたら、3月15日まで延長されました。公式サイト

模型があったのは、千と千尋の油屋、トトロの洋館、ラピュタの城(一部)、マーニーの大岩家、ハイジの山小屋・街並み、アリエッティの床下の家、ポニョの宗介の家。
筆者(私)はジブリ作品をほとんど見たことはありませんが、展示は興味深く拝見しました。

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2014.11.21

松阪の古建築

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江戸時代の武士の住まいが残っていました。重要文化財の御城番屋敷です。大きな長屋が東西に2棟並んでいます。19室のうち1室は公開されており、他の部分は普通の住居として使われています。

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松阪といえば本居宣長が生涯を過ごした地です。宣長の旧宅(鈴屋)が旧松阪城内に移築されています。2階部分(写真右手)が書斎で、4畳半の小さな部屋でした。宣長は鈴の音が好きで、書斎の柱に鈴をかけていたので鈴屋というそうです。

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宣長宅は、お城を出てすぐの場所(魚町)にありました。宣長宅跡は移築された旧宅とともに特別史跡になっています。

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周囲にはいくつか町屋が残っています。

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三井家発祥地もありました。敷地内は非公開ですが、主屋は既になく、井戸や記念碑などがあるそうです。

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2014.11.20

松阪の洋館

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瀧原宮、月讀宮などを見た後、松阪城下をぶらぶらしました。
まず目を引かれたのが一見銀行建築ふうの松阪市地区医師会。松阪水力電気本社として建てられたそうです。いかにも大正のデザインらしく、角の部分に玄関を置いています。

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1908年(明治41年)、県立工業学校の製図室として建てられたもので、松阪工業高校の敷地内に保存されています。「赤壁」(せきへき)と呼ばれ、親しまれているそうです。

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瀟洒な洋館で、昭和初期のモダン住宅かと思います。こうした物件を見つけるのはうれしいものです。

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近代和風の範疇になりますが、1912年に飯南郡図書館として建てられ、現在は松阪市歴史民俗資料館になっています。

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2014.11.19

瀧原宮

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元伊勢と呼ばれ別宮の1つである瀧原宮に行ってみました。元伊勢というのは、倭姫命が伊勢に着く前に各地に残した仮の宮、とのことです。
伊勢神宮と同様、ここでも遷宮が行われます。
紹介パンフレットに「山奥」とありましたが、山道ではなく、駅から歩いて30分ほど。途中には古い街並みも見られます。電車が3時間に1本ぐらいなので、旅行者にはちょっと行きにくい場所です。
訪れたのは、お白石持の行事(10月26日)と御神体をうつす遷御(11月7日・8日)の間でした。
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これまでの瀧原宮(右)と瀧原竝宮が並んでいます。瀧原宮の方が一回り大きく、伊勢神宮と同様の建物です。儀式のため仮設の屋根が架けられているようです。

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奥の方の敷地は少し高くなっており、新しい社殿が建っています。
遷御前のため、拝観はできませんでした。

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2014.11.15

旧三井物産横浜支店生糸倉庫

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横浜の生糸倉庫だった建物(設計遠藤於菟、1910年)の取壊し作業が進められています。
明治末期の鉄筋コンクリート構造の先駆的な作品であり、生糸に関わる産業遺産としても貴重なものと言われています。

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先週末に見てきましたが、何とも残念です。
(現在は足場が組まれているとのこと)

旧三井物産横浜支店生糸倉庫を壊して欲しくない人々の会(Facebook)で電子署名を募集しています。

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なお、テナントが入っている本館の方は無事です。

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2014.11.14

OSN095岡田と正教会

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ブルガリアの首都ソフィアにある正教会のアレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、ネオビザンチン様式の代表作の一つとされ、竣工は1912年(大正元年)である。
岡田信一郎と同時代の作品になるが、鐘楼やドームのデザインがニコライ堂に似ていると思う。
岡田は関東大震災で大きな被害を受けたニコライ堂の修復を担当し、オリジナル(コンドル設計)のデザインを一部変更しているが、その際、参考にした可能性もあるのでは…(個人的見解)。
(画像はGoogleマップより拝借)

正教会と言えば、岡田は正教会の信者だという説が最近一部で唱えられている。岡田のお墓は護国寺(真言宗)にあるし、全く意外な話で驚いた。
確かにニコライ堂の修復には岡田もかなり思い入れを持っており、信仰に共感して洗礼を受けることもありえない話ではない。もしかすると日本正教会本部には、岡田の洗礼記録か何かが残っているのだろうか…。
ただ、その場合は本人の意に反して仏式で弔われていることになり、ちょっと困ったことになるのである。

1990年から1998年にかけてニコライ堂の修理工事が行われており、詳しい文献調査が行われている。その成果を含む『重要文化財日本ハリストス正教会教団復活大聖堂(ニコライ堂)保存修理工事報告書』(1998年)を見ても、岡田が信者であるといった話は出てこない。
しかし『東京復活大聖堂 修復成聖記念誌』(同年)には、「復興設計者は信者であった建築家のイリヤ岡田信一郎」という一文があり、これが信者説の(唯一の?)出典のようである。
特に典拠は挙げられていないが、『記念誌』執筆者は何を見てこれを書いたのであろうか。

以下は自分の推測である。
『工事報告書』には正教会の昭和2年度公会の会議録が収められている。岡田は出席していないが、復興委員会から再建工事の説明が行われており、会議録中に次の発言が記されている。

「イザヤ岡田技術士に得たる工事見積書につき一々説明せん」
口語に直せば、「さあ、岡田技術士にもらった工事見積書について一つ一つ説明しよう」ということだが、『記念誌』執筆者は「イザヤ」を洗礼名(?)と思い込み、岡田を信者と誤解したのではないだろうか。そして「イザヤ」の書き間違いか校正ミスで「イリヤ」になったのではないか。
岡田の洗礼記録等についてご存知の方はご一報いただきたい。

ニコライ堂の復興にかける岡田の思いについては次のような資料がある。

○私は稚い時此処 [駿河台] の対岸のお茶の水高等師範学校の附属中学に通学した。其故に此の鐘塔からの七つの鐘の美しい響を絶えず聞いた。其の神秘な、奇妙な諧調は小供の好奇心を誘うに充分であつた。(…)
ニコライ聖堂は故コンドル博士の設計で、明治廿四年二月に出来上つた。(…)高い方塔(キャンパニール)と大きい円蓋(ドーム)とで対照の妙を窮め、地勢を利用して厳然たる威容を現出した博士の手腕には全く敬服する。青緑に錆びた円蓋と、美しい鐘の音の方塔とは永く市民の記憶を去るまい。(1923.11中央公論「死児の齢を算えて」)

○早大教授岡田信一郎氏は(…)先生の又先生がこの聖堂を設計したといふ因縁から無報酬でやらせてくれと、乗気になつて此の [復興の] 設計に当つて居ると。(1924,10.14都新聞) ※実際に無報酬だったかどうかは未確認、

○予て震災復興工事中の駿河台ニコライ会堂漸く外部だけ成就致候(…)信仰の力の強さに中古巴里其他ゴシックの本寺が数百年がかりにて出来し様子会得致され候(1929.8.26私信)

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2014.11.07

正倉院展2014

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今年は「鳥毛立女屏風」6扇のうち、4扇が奈良の正倉院展(11月12日まで)に、2扇が東京の日本国宝展に出展されました。
以前の記事で書いたように、心待ちにしていた作品ですので、東京・奈良とハシゴしました。出展は15年ぶりのようです。

約10年がかりで、正倉院の名品と言われるようなものは一通り見ることができたと思います(来年からどうしたものか…)。
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博物館の旧本館が修復工事中のため、関野ホール(旧奈良物産陳列所、1902年、関野貞設計)が公開されますが、正倉院展期間中を除く、というのは戴けません。
(2008年撮影)

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2014.11.06

ブルガリア大使公邸

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先日、代々木にあるブルガリア大使館&大使公邸の見学会がありました(都合により公道からの画像のみ)。
大使館の建物は丹下健三の設計(1974年)。傾斜地に建っています。

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高台(大使館の裏手)にある大使公邸は旧石坂泰三邸で、渡辺仁の設計(1934年)。石坂が第一生命の専務(後に社長)を務めていた縁によるようです。
RC造、タイル仕上げの洋館で、ステンドグラスをはじめアールデコのインテリアが見どころです。
竣工当時、洋館の隣りに並んでいた和風住宅は、2年後火災にあったそうです。洋館の増築部分はその後で建てられたものでしょう。

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