« OSN091清水仁三郎 | トップページ | 三菱倉庫 »

2014.09.18

OSN092都市計画と都市美

前項で記した建築学会等による建築法令の制定運動について(続き)

岡田信一郎は制定運動の「画策の中心となつて働いた」(前出)ということだが、具体的にはどのような動きだったのだろうか。学会内部や他団体(関西建築協会など)との調整、政府や議会への働きかけ、報道機関への対応など様々なことがあったはずだが、詳しいことはよくわかっていない。
(長くなるので、経過を別のところへ)
Pari
都市計画法と市街地建築物法が成立したのは1919年で、関東大震災(1923年)の数年前という時期であった。当時は東京をはじめ都市が発展し、交通も増え、高層ビルも建てられるようになった時期であり、規制する法律の制定は当然であったとも言える。だが、後藤新平や池田宏、佐野利器などの人物が揃っていなければ、制定の時期はもっと遅れていた可能性もある。そうすると、震災後の復興(復旧?)の様相はかなり違ったものになっていたのかもしれない。

さて、制定運動の中で岡田が書いた「都市計画と建築條例」(大阪朝日1916.1.1、東京朝日1916.1.5)には「都市美」という言葉が出てくる。

都市美の根底をなすものは矢張建築の美である。
然れど美なる建築の雑然たる聚合は必ずしも美なる都市を現出する物でもない。都市の建築に一つ一つが如何に美的であっても、其間に綜合的な統一がない時には十分なる都市美を発揮する事は出来ない。(…)
大阪にも東京にも一つ一つ取離して見たら立派な建築は数多くあるかも知れない。然し綜合的に都市美に寄与する建築が果して幾何(いくばく)あるであろうか。
岡田は東京で行われている市区改正(実質は、ほぼ道路拡幅)や警察が行っている建築取締規則では不十分だとして、都市計画、建築法令の必要性を述べている。
美なる而して健全なる文明の都市を現出せんとせば数多の美なる建築が出来るよりも、先ず根本的な都市計画が確立されねばならない。権威ある建築條例が施行されねばならない。而して其効果を収めんが為には建築家は連絡ある綜合的な都市建築の意匠に努めねばならない。
中島直人氏は「都市美という用語を意識して積極的に用いた人物は、建築家の岡田信一郎であろう」(「都市美運動」2009年、P26)としている(また、「綜合美術協会」についてもふれている)。

関東大震災から2年後の1925年(大正14年)、「都市美研究会」が設立された。建築・土木関係者のみでなく、発会式に内田魯庵、石井柏亭、杉浦非水といった顔ぶれも集まっているのは面白いと思う。
翌年には「都市美協会」になり、元東京市長の阪谷芳郎を会長に迎え、建築界からは塚本靖(副会長)、佐藤功一、笠原敏郎、大熊喜邦、片岡安(以上、理事)、中村鎮(常務理事)らが参加した。
警視庁の建設工事中に、望楼が周辺の美観を乱すとして反対運動を起こし、結局、望楼を撤去させてしまうほど、影響力を持つ団体になった。

かねて「都市の美観」を論じていた岡田としては、この会に参加していてもよさそうな感じがするのだが、中島氏の研究等を見ても、特に関わりはなかったようだ。
学校や設計の仕事に忙しかったためか、それとも体調があまり良くなかったためだろうか。

(画像のパリ風景はgoogleより借用)

|

« OSN091清水仁三郎 | トップページ | 三菱倉庫 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« OSN091清水仁三郎 | トップページ | 三菱倉庫 »