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2014年4月の5件の記事

2014.04.29

曲田福音聖堂

秋田県大館市曲田(まがた)にある正教会の聖堂で、木造平屋建の一見素朴な建物です。(画像はGoogleより拝借)
Magata
ニコライ堂の翌年、1892年(明治25年)に竣工。ニコライ堂建設に関わったシメオン貫洞なる人物の指導で建てられたと言われ、山下りんのイコンがあるそうです。

老朽化と東日本大震災の被害により、修復が必要な状態で、「曲田福音聖堂を守る会」では、寄付を募集しているそうです。(修復費用のご寄付のお願い:PDF

曲田福音聖堂公式サイト

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2014.04.24

眠れる川喜田邸

大江新太郎作品として一部に知られる川喜田久太夫邸(1915年)。奈良県内の倉庫に30年間眠ったままなんだそうです。
(川喜田は第百五銀行頭取などを務め、陶芸家、半泥子としても知られる人物とのこと)

半泥子の山荘、復元計画が頓挫 専門家「重文級の価値」 日本経済新聞

syoukouさんのブログに写真がありました。

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2014.04.08

神田の棟梁たち

前々回の記事でふれた「石井権三、長谷川金太郎、富樫文治」について、少し調べたところ意外な事実が判明。

1913年(大正2年)5月に、神田区三崎町の「石井権蔵」が亡くなり、5月29日の読売新聞に死亡広告が載ってますが、「親戚総代」の中に「富樫文次」「長谷川金太郎」の名前がありました。親戚同士だったとは。
新聞記事を検索すると、3人の名前がいくつか見つかります。

■富樫文治
「建築請負業界の偉人富樫文次」と、1917年(大正6年)1月27日読売新聞の死亡記事にあります。心臓病で1月24日に死去。「年六十四」ということなので、1854年生れ(嘉永7年、ペリー来航の年)でしょう。

伊勢の常夜燈を寄進したのは数えで61歳のときです。

富樫登和(妻)が富樫組を継ぎ、養子の富樫厚博が内外エレベータの東京支店を兼ねることになった(?)ようです。(杣辺さん情報)

■長谷川金太郎
初代は1909年(明治42年)9月に死去。自宅は神田区錦町三丁目。
所沢飛行場飛行船庫(1914年、設計田村剛・内田祥三)の工事を行ったのは二代目でしょうか。

(補足)セントルイス万博(1904年)で日本館の工事を担当した同名の人がいますが、こちらは芝居の大道具で知られ、浅草、下谷あたりに住んでいたそうなので別人でしょう。
また、神田囃子の家元(明治~昭和初期)や、弘前教会の施工者(明治39年竣工)にも長谷川金太郎の名が出てきますが、同一人かどうか不明です。

■石井権蔵
初代は1913年(大正2年)5月に死去。自宅は神田区三崎町三丁目。千葉の中山に大きな別荘があり、中山協和銀行の頭取でもありました(5月29日読売新聞)。
養子の藤吉(旧姓久我)が二代目を継ぎ、鉄筋コンクリート造の建築をかなり多く手掛けたようです。

東京帝国大学、東北帝国大学、学習院、東京美術学校などの学校建築を多数施工しています(「日鮮満土木建築信用録」1925年)。
小笠原伯爵邸の施工者(石井組)もそうでしょうか。

石井組については、もう少し資料がありそうです。

(富樫文次か文治か、石井権三か権蔵か、は謎のまま)

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2014.04.02

ラファエル前派

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もうすぐ終わってしまいますが、六本木ヒルズの「ラファエル前派展」を見てきました。(4月6日まで)

ミレイの「オフィーリア」など有名な作品が見られて結構でした。

「ラファエル前派兄弟団」自体は5年ほどで解散したそうですが、ロセッティやミレイはその後もずっと「ラファエル前派」と呼ばれ続けたのでしょうか。山田守が分離派と呼ばれ続けたように…(?)

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2014.04.01

伊勢の常夜燈

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伊勢神宮の内宮から古市を目指して坂を上ってゆくと、大きな常夜燈があり、「東京神田旭町 富樫文治」と寄進者が刻まれています。大正3年(1914年)2月の建立です。

神田の富樫と言えば、日本銀行小樽支店の施工者です。駒木定正氏の論文(後記)を見ると、以下のようです。

*明治42年(1909年)4月2日、本店から小樽支店に入札要領を送付。小樽支店では、地元の業者(加藤忠五郎)に入札参加の意思を確認したが、辞退された。
*4月27日、入札。
*6月11日、日本銀行と富樫が一式請負の契約。14日に本店から支店あて、「東京市神田区旭町拾参番地富樫文治ニ請負ハシムルコトニ相成候」と通知。
*7月1日、富樫が小樽へ出発、7月6日に着手届を提出。
(冬季の11月末から4月までは、工事は休業)
*明治45年7月27日、竣工。

辰野金吾は、「一式請負ニハ珍シキ上出来」と評価したそうです。

富樫は日本銀行本店工事(1890-1896年)では砂利、砂の納方を請負い、福島支店工事(1911-1912年)でも主要な工事を請負っています。

神田で棟梁の家に生れた竹田米吉のエッセイ『職人』に富樫の話が出てきます。(中公文庫版P41、57)

私の幼いころ(…)今川橋の黒崎、石井権三、長谷川金太郎、富樫文治らが新興の大きな棟梁であった。
竹田(明治22年生)の幼いころというと、明治20-30年代あたり、富樫が日本銀行の工事に関わった前後のことでしょうか。

伊勢に常夜灯を寄進したのは、日本銀行小樽支店、福島支店の工事を完成させた後のことで、富樫の最盛期だったのかもしれない、などと想像してしまいます。

(一部文献には「富樫文次」とあるようです)

参考文献
「日本銀行小樽支店の建築請負入札と請負契約(明治42年)」 (学術講演梗概集、2003年)
「日本銀行小樽支店の明治42年における建築請負契約について」(日本建築学会計画系論文集、2008年)

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