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2013.11.19

OSN089早稲田と美校

岡田は早稲田大学と東京美術学校の教員を務めていたが、どちらによりウエイトを置いていたのだろうか。

早稲田大学では、建築学科の創設(1910年)から間もない1911年(明治44年)に講師となり、翌年には教授に就任している。

一方、東京美術学校では1907(明治40年)年に嘱託となり、関東大震災のあった1923年まで講師のままだった。(48回あたりにも書いたが、長年講師のままでいたのは、東大建築学科の教授になりたかったためらしい)

どちらの勤務時間が長かったのか、といったことなど、もう少し詳しく調べなければいけないのだが、明治~大正中期にかけては早稲田の方にやや力を入れていたのではないか、と推測している。
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1923年以降は美術学校の教授となり、建築科の主任を務めた。岡田は病気がちで休む日も多かったが、正木校長の信頼は厚かったようだ。

早稲田大学では、後輩の内藤多仲や教え子の今井兼次らが活躍するようになり、岡田の働く場も少なくなっていった感がある。早稲田の建築学科が総出で取り組んだ大隈講堂の建設に際しても、(顧問として名は連ねていたものの)影は薄いようだ。

そうした訳で、少なくとも震災以降については美校優位だったと考えている。
(写真は2007年10月撮影)

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