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2013.08.10

OSN087岡田の毒舌

岡田の口の悪さについて、岡田をよく知る人たちは次のように記している(建築雑誌557号)。

警句で人の肺腑を抉ると言ふ奇抜のところを突発させ、若い時は其の連発でした。(結城素明)

悪口屋も当時天下御免の有様で、その舌にかゝては寸鉄人を刺すの鋭さもあつたが、風刺の巧妙なることも亦到底他の真似し得る処ではなかつた。(古宇田実)

彼は有名な毒舌家だつた、その悪口にも余り愛嬌がなかつたので、可なり感情を害した人もあつたらうと思ふ(…)(松井貴太郎)

悪口の叩き合は蓋し同君の最も得意とする所で、有名な岩村透男が「岡田は少し話せる」と折紙を附けた程であります。(西村好時)

先生は悪る口やであると言ふことは余りにも有名である。然し私が先生に接した限りに於ては、他人の悪口を聞いた事はない。これだけは確かな事実である。その代り、面と向つて言ふ事はどしどし言はれる。(…)表に之を責めても裏に之を推すと言つた美徳は今時の人には稀に見る所である。(内藤多仲)

蔭口は言わなかったようなので、その点は好感が持てるが、岡田ファンの自分から見てもずいぶんひどいものがある。具体例を挙げると、

【畑正吉に】 大阪市公会堂の設計コンペ案に対して、美術新報社から第2回賞美章(1913年)を贈られたときの話である。副賞は畑正吉が制作した純金製のメダルだった(畑のデザインしたメダルと言えば、文化勲章が有名)。岡田は畑に会ったとき、次のように言ったという。

君一つあれをエンゲーヂ・リングに打ち直して呉れないか、どうせ君が拵へたものを君に打直して貰ふのだからかまふまい。

【仲人に】 岡田のもとに、持参金付きの結婚話があったときのこと。

持参金とご本人と両方もらうのはきのどくだから、持参金だけもらいたい。

【学生に】 岡田はよく東京美術学校と早稲田大学の学生を比較していたという。

早稲田へ来て、君たちのへたくそな製図をみると不愉快になる。美術学校へ行くと気持がのんびりするよ。
比較された学生の中にはやはり不快に思うものもいたようだ。

(以下、余談)
引用した西村好時の一文にあるように、美術学校で西洋美術史を講じていた岩村透も毒舌で有名だった。
岩村の毒舌の中でも強烈なのは、美術学校の25周年祝賀会(1914年)で25年勤続の教授を表彰した際の発言とされるものである。

一つの事をずるずると二十五年もやっている奴は平凡な人間か意気地無しだ。二十五年も同じ勤めをしたといふ事は、寧ろ弔すべきであって賀すべきではない。

岩村自身はこの時点で在職15年ほどのはずである。
その数年後、岩村は美術学校を追われ、失意のうちに亡くなる。学校を追われたのは(講義の中でウィリアム・モリスの社会主義に言及したのが理由だという説もあるが)、日頃のこうした毒舌が人の憤激を買っていたことも一因だったような気がしてならない。

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