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2013.07.30

OSN085日本生命館

日本生命館といってもピンと来ないかもしれないが、高島屋東京店(日本橋店)のことである。竣工は1933年(昭和8年)で重要文化財に指定されている。ルネサンス様式を基調に、和風を取り入れたデザインは高橋貞太郎によるもの。
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設計段階で岡田が平面計画に関わっており、岡田ファンとしては中々気になる存在なのである。正面玄関を入ったところの吹き抜けは、歌舞伎座や明治生命館に通じるところがある、とも感じるが、どうだろうか。

日本生命館というのは、高島屋に貸す前提で、日本生命がビルを建設したからである。フロアの一部を日本生命東京支店が使用していたが、日比谷に日生ビル(村野藤吾設計)が出来てからはそちらに移転している。(現在はビル全体を高島屋が所有していると思う。)

岡田と高島屋には長堀店などの縁があり、関東大震災後の仮店舗(1927年、木造2階建)を設計したのも岡田である。
岡田自身も東京店の本建築は自分が設計したいと、高島屋の川勝堅一にあてた手紙(1929年2月)で書いている。
川勝は、東京支店復興営業準備委員・東京支店復興建築準備委員を務めており、1925年(大正15)2月~10月に欧米を視察し百貨店事情を調査していた。

だが、高島屋が自前で百貨店ビルを建設する訳ではないので、設計者の決定についても日本生命側の意向が大きく働いたであろう。
日本生命と高島屋の交渉は1924年(大正13年)頃から行われていたようだ。(「高島屋百五十年史」P104-106、「交渉開始以来6年目の昭和4年」に用地買収を完了した)

1930年(昭和5年)1月に日本生命館建設の第1回打ち合わせがあり、岡田は相談役として尽力したという。しかし、岡田は途中で解職になった。

同年3月に日本生命館の公開コンペが公表された。審査員は、建築家の伊東忠太、片岡安、佐藤功一、武田五一、塚本靖、及び日本生命側の3名、高島屋の1名(飯田直次郎取締役)であった。片岡は日本生命の取締役でもあったから、全体に日本生命の発言力が大きかったことが推察される。

この設計コンペは「建築意匠のヒントを懸賞で募集する」(建築雑誌534号)とあったほどで、ファサードデザインのコンペだった。
設計コンペの当選者は5月13日に決定しているが、7月1日に地鎮祭、8月に着工した(大林組施工)というから、コンペの実施までに、ほとんど設計は固まっていたはずである。なぜ慌しくコンペを開催したのか、疑問に感じるほどである。

岡田ファンとしては、もし岡田がデザインまで設計していれば…と想像してしまうのであるが、片岡と日本生命が相手ではさすがの岡田も勝ち目はなかったかもしれない。

設計組織として、日本生命館臨時建築局が置かれた。片岡安、高橋貞太郎、前田健二郎、田中正義、後藤武一の名が残っている。(写真は5月撮影)

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