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2013.07.25

OSN084学士会館

岡田にとって無念だったのは、学士会館の設計である。(以前に少しふれたことがある)

学士会館は帝国大学出身者で組織する学士会の会館である。学士会は大正2年に会館を建設したが、同年に火災のため、焼失。以後、木造平屋建の仮建築のままであった。大学創立50周年の大正16年(1927年)までに完成させようということになり、片岡安、佐野利器、寺野精一、中村達太郎、山口孝一が技術委員で、設計概要と積算を岡田が担当することになった。(1922年頃)

岡田は鉄骨鉄筋コンクリート4階建ての設計案をまとめ、大正12年(1923年)9月には工事に着手する予定であったという(「建築画報」)。それが関東大震災のため延期となり、後には区画整理事業により敷地が削られる見込みとなったことから岡田案は廃棄され、設計コンペが行われることになった。
神代雄一郎氏は「学士会館事件」として次のように書いている。

学士会館新築のための岡田の設計がすっかりでき上っていたのに、それがコンペになり、高橋貞太郎の手に落ちた(…)。(…)西村好時が岡田の霊に詫びた文章を読み、また諸氏の話を総合すると、どうも岡田が病床につくほど怒った理由はあったらしい。彼はそれ以後、佐野利器が関係した清水組には一切自分の仕事をまわさなかったという。
ここに出てくる西村は銀行建築を多く手がけたことで知られる建築家である。高師付属中(2学年下)以来の岡田の後輩であった。
学士会館の設計を岡田が行うことが、建築学科同級生の集まりの際に話題となり、「学士会館の建築は宜く会員間の懸賞設計に俟つ可し」という議論になった。それは建白書となって建築委員長(赤星陸治?)に届けられたということである。西村は自分たちの行動によって設計コンペが実施されることになり、岡田の仕事を奪ってしまったと気に病んでいたのである。

また、佐野と岡田は建築観が異なり、犬猿の仲だったように言われるのだが、初めから仲が悪かったとは思えない。
「清水組には一切自分の仕事をまわさなかった」というのは、おそらく明治生命館の工事を(清水組ではなく)竹中工務店が担当したことを指しているのだろう。
だが、明治生命館の施行者は入札で決められており、岡田の好悪で左右されたというのは疑問が残る。現に山一証券などは清水組による施工である。

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