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2013.07.20

OSN083神奈川県庁(続)

県庁舎のデザイン案が公表され、しばらく経ったある日のこと。知事室に内務部長、土木課長、建築技師らが集められ、その席で岡田は「海港の玄関らしく」「(開港)記念会館を凌ぐ高塔」を設けるべきだと主張したという。
佐藤氏の推定によればそれは1925年9月13日(デザイン案公表の翌月)で、清野知事が復興局長官に栄転し、後任に堀切善次郎(内務省土木局長)が就任する3日前のことであった。(前掲論文P64)
Kanap1130427
唐突な話であるが、これはデザイン案に不満を持った岡田が知事交替というタイミングを狙って話をひっくり返したということなのだろうか。
確かに、会議の席に遅れて出席した岡田が、得意の弁舌をふるって、決まりかけていた話をぶち壊す、といったことはしばしばあったらしい(森井健介の追悼文)。
だが、既に進行しているプロジェクトを自分の一存でひっくり返すというのは少々違うのではないだろうか。

筆者としては、大きな設計変更は別のところ(堀切新知事あたり?)からの意向によるもので、岡田は説得役ということなのでは…という気がするのだがどうだろうか。

(ちなみに明治生命館の設計変更の場合も同様のことがあったのではないかと想像している)

翌1926年3月には、新庁舎の設計コンペの実施が公表された。片岡安、佐野利器、大熊喜邦、佐藤功一、内田祥三、岡田、県内務部長が審査員となり、6月に小尾嘉郎の案が一等当選と決まった。これが現在の県庁舎のデザインのもとになっている。

岡田はその後まもなく、建築事務嘱託を解かれたが、佐藤氏は県庁の平面計画そのものは、はじめの計画案から大きく変わっていないのではないか、と述べており(前掲論文P62)、岡田が関わった計画内容は引き継がれていることになるだろうか。

それにしても、片岡安、佐野利器、設計コンペというのは、岡田との相性が悪いようである。

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コメント

知事室に内務部長、土木課長、建築技師らが集められ、岡田が「海港の玄関らしく」「(開港)記念会館を凌ぐ高塔」を設けるべきだと主張したという。
 ↓ ↓
この話の出典を探したところ、「横浜貿易新報」大正15年1月14日の記事でした。打合せがあったのは前日の1月13日で、堀切知事に代わってから4カ月後のことです。
(9月13日ではありません)

そうなると「デザイン案に不満を持った岡田が知事交替というタイミングを狙って話をひっくり返した」訳ではありません。

別のところで書いたように、堀切知事の意向に従って、塔を設けることにしたのだと考えられます。
 ↓ ↓
http://chuta.cocolog-nifty.com/arch/2015/07/osn114-bfbd.html

投稿: 岡田ファン | 2015.11.23 21:52

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