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2012.10.18

デ・ラランデ邸復元

Rarandep1120071
久々に江戸東京たてもの園に寄ってみると、デ・ラランデ邸がかなり出来上がってました。6月に上棟式が行われたとのこと(公式サイト)。

ところで先日、この建物はデ・ラランデ設計ではない?、という報道がありました。
■ドイツ建築家の明治洋館、実は日本人作? 研究者が新資料発掘 都が調査へ
MSN産経ニュース

新資料を発見したのは広瀬毅彦さん(51)。欧州などでデ・ラランデの足跡を調査してきた広瀬さんは、土地の所有者だった北尾次郎の子孫宅で明治時代の写真などを発見。北尾次郎が明治25(1892)年に自ら設計して平屋建ての洋館を建てていたことが分ったという。

また、広瀬さんは土地台帳などの記録を調べた結果、「土地は北尾次郎の死後もその長男が昭和期まで所有し続けており、デ・ラランデは借家人だった可能性が高い」と推定。平屋の洋館は明治末期頃に3階建てに増築されているが、「借家人だったデ・ラランデが増築部分の設計者だったと断定する根拠は見当たらない」としている。

一方、江戸東京たてもの園によると、「建物を解体し部材を調べた結果、平屋の上に2、3階部分を増築していたことが判明したため、デ・ラランデが増築部分の設計者だったと推定している」という。

広瀬さんの調査ぶりには頭が下がりますが、記事を見る限り、北尾次郎が増築部分の設計者だったと断定する根拠も見当たらないような気もしますけど、真相はいかに?

この住宅は、「建築写真類聚」の「門1」(1916)と「住宅の外観2」(1917)に「ブルセウイツ氏邸」として掲載されています。1914年のデ・ラランデ逝去後はブルセウイツ邸になっていた訳です。
(手元にありませんが、「住宅」1916年9月号に「建築技師デラランデ氏邸」の写真が載っている模様)

以前に書いた記事。
※こちらは「復元」でいいようです。

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コメント

コメントありがとうございます。何気なく行ってみたら無料公開日でした。

解体時の調査で、もともと平屋だった建物を、増築したことがわかったそうですが、まだ報告書は非公開なんですか。
広瀬氏は(たぶんその調査結果は知らずに)もともとの居住者を探し出して調べ上げたわけですから、大したものです。

藤森氏は、デザイン面(ユーゲントシュティル)から、ドイツ人建築家のものにふさわしい、と判断されたのでしょう。
北尾氏も建築には造詣が深かったようですがユーゲントシュティルの味付けをすることができたのかどうか、ですね。

投稿: 岡田ファン | 2012.10.22 01:43

私も無料公開の1日にたてもの園に行ってきましたよ。

 旧三島邸は、実はデ・ラランデ設計ではなかった!との説の根拠は、広瀬毅彦著「既視感の街へ ゲオログ・デラランデ新発見作品集 没後百年記念」に北尾氏時代(増築前、創建時1892年から住み、デラランデへ賃貸中も所有者だった大家さんで東大教授一家。親子二代・50年間、1941年まで所有したとある)の写真が多数掲載され、解説されていました。

 たてもの園のホームページが、10月5日に更新されていて、わたしがプリントアウトしていた更新前の説明では、デ・ラランデにより「建て替えられた」とあるのに、更新後は「増築」に微妙に変化していました。
 取材があってから、たてもの園によって書き換えられたものと思われますね。

 本には、増築前の、北尾氏の息子が家の前で乗馬する写真の背後に写っていた建物写真が、デ・ラランデ居住中(増築後)の家族写真と同アングルで撮られていて、二枚を比較すると、どちらも下見板張りで、窓の形や柱の飾り(三本の縦線)までもが一致するので、これでははじめからデ・ラランデ作品ではありえない、とされていました。

 反対に、藤森照信「建築探偵の冒険」では、完全に三島邸をデ・ラランデ作品だ、として紹介されていますので、たてもの園の判断に注目です。
 藤森氏は、増築だった、とも書いていませんし、逆に、デ・ラランデの所有だった、とまで踏み込んで解説されていて、土地台帳や遺族のアルバムなどを精査した、広瀬氏の研究結果とは全く正反対の説です。

 確かに増築の可能性はあったとしても、一階が日本人作品と判明したからには、建物全体をデ・ラランデ作品だとは、もはやいえませんからね。
 
 2000年に解体調査したときの調査報告書は非公開で、江戸博図書館にもないそうです。ボランテイアガイドの人にも見せてはもらえないのだとか。

 ちなみに「デ・ラランデ」と産経新聞記事は書いていますが、広瀬氏によると当時のデ・ラランデは、電話帳や設計図のスタンプに「ゲー・デラランデ」と書いていたそうで、本当は「デラランデ」が正しいとのこと。

 日本国内の新発見作品だけでなく、出身地ヒルシュベルグに40軒の作品が残っていたのを発見して、設計図も探しだし、まとめられた労作なので読み応えがありました。
「デラランデ」が好きになりました。

投稿: 小金井大好き夫婦 | 2012.10.19 16:07

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