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2012.04.03

OSN079明治生命館

明治生命館の設計者を決める際に設計コンペが行われたことは、以前にも書いたことがある。このコンペには8人の建築家が参加し、互選で設計者を決めたという(「明治生命保険株式会社六十年史」)。

参加者による互選と言えば、大阪市中央公会堂、日比谷公会堂のコンペといった事例はあるのだが、余り見かけない方式である。(なぜ互選になったかは、長くなるので今回省略)
2gokan
また社史によれば、コンペを実施した段階では三菱二号館(コンドル設計、1895年竣工、かつて建築学会の事務所も入居していた建物)を保存して、その隣に高層ビルを建てる計画であった。ところが、コンペに当選した岡田から、二号館を取り壊して敷地全体で高層ビルを建てるようにという提案があり、協議の結果そのように決まった、ということである。

個人的には、岡田が発案した、という点に少々引っ掛かりを感じている。それというのも、岡田は関東大震災によって失われてしまった明治建築を惜しむ一文「死児の齢を算えて」を書いており(関東大震災後の言論の項)、二号館の取り壊しを提案するのは、よくよくのことだと思われるからである。
(画像左は三菱二号館、右は東京商工会議所)

1997年、明治生命館は重要文化財に指定され、その後、保存再生工事が行われた。現在、建物の一部が公開されており、2階の資料・展示室には画像データベースがある。
その中に、設計コンペ案のパース図5種類と平面図・立面図等20枚ほどが含まれている。
パース図5枚のうち3枚には佐藤功一のサインがある。ルネサンス系(野村ビル風)、ゴシック系(日比谷公会堂風)、古典主義系(ギリシア神殿風の列柱)の3通りのデザインであり、また、平面図・立面図等は、全て佐藤功一の3案に対応するものである。
他のパース図2枚は渡辺(仁?)案と設計者不明の案である(岡田ではなさそう)。

ところで、渡辺案を除く4案は、二号館の背後に建設する計画(二号館保存案)であるが、渡辺案のみは独立した高層ビルの計画、つまり三菱二号館を撤去して建てるもの(二号案撤去案)となっている。
これらの図面を見ると、いくつか疑問が生じてきた。

・佐藤功一はどうして3案も作成したのだろう? 
・佐藤の図面以外に、(岡田も含めて)他の建築家の図面は残ってないのだろうか?
・当初の計画は二号館保存案だったはずであり、応募者はそれに沿った案を提出したはずである。二号館撤去案は、渡辺(仁?)が提案したことになるのだろうか。
明治生命のコンペについては、不明な点が多い。

コンペで当選した岡田は、高島屋の川勝堅一に書簡を送っている(1929年2月22日付)。

今般(昨年末)明治生命保険会社新築の設計主要なる建築家十名を指名致し設計競技致す事と相成り(…)幸に小生選に当るの光栄を担ひ、昨日右建築の依頼を正式に請け候。
[明治生命の]場所は馬場先門外商業会議所と相対峙する晴れの場所に有之、充分腕を振ひたくと大喜び致し居候。(…)
右設計は一言にては三井銀行の建築が米国建築家に依頼されたるは日本建築家の恥辱とも存じ、三井と同式にて確かに美術的には凌駕し得る自信に御座候。(内部其他の贅沢は不及候が)
アメリカの設計事務所が設計し、竣工間近であった三井本館(同年3月竣工)を意識していたのは面白いが、明治生命館の設計に臨んで、岡田の高揚感や自信のほどが伝わってくる。

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