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2012.04.04

OSN080明治生命館の建設

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明治生命館は竹中工務店の施工により1930年に着工し、1934年に竣工した。これが岡田の遺作になったことは以前にも書いたことがある。

二号館取壊しに立ち会った曽禰が涙していたことや、石工がストライキを起こす騒ぎのあったこと、弟の捷五郎に召集令状が届いたことなど、何かと建設にまつわるエピソードは多いが、今回は割愛したい。

明治生命側の新社屋の建設担当は、役員の阿部章蔵であった(創業者阿部泰蔵の四男)。明治生命館の竣工後、阿部が社報に書いた文章を引用しておく。(水上瀧太郎は阿部のペンネームである)

建築顧問の曽禰先生は、今年八十三歳の御高齢であるが、雨の日も風の日も現場に御出向 [おでむき] になり、設計施工両方面の指揮監督にあたられた。世間一般に、老大家を顧問とか監督とかに頂く例は少くないが、多くは名目だけか又は特別の事についての相談相手に過ぎないのに、今度の工事に於ては、そんな生温 [なまぬる] い事ではなく、先生御自身の設計のものゝ監督と同じ或はそれ以上に心を籠めて尽くされた。(…)
新館設計者岡田信一郎氏は天才と称されたかくれなき大家であつたが、たつた一つの大なる欠点は、健康に恵まれない事であつた。六十萬人の人間を使用しながら、一人の死者も出さなかつたのは稀有の事だといはれてゐるが、不幸にして工事半途に岡田氏を失つったのは、かへすがへすも残念である。氏は明治生命館の建築を一生の記念塔として、将来にのこさんとこゝろざし、文字通り全生命を打込んでしまつた。新館披露の日、御遺族はその竣工を喜ばれると同時に、個人追慕の感慨に堪へず、しばし涙にくれたといふ事である。ひそかに想へば明治生命館が氏の寿命を奪つたとも言ふべく、立並ぶ大円柱は尊き犠牲を人柱の上に築かれたものとも考えられるのである。
不幸中の幸は、令弟捷五郎氏が最初から協力して居られたので、工事には何の支障もなかつた。(「水上瀧太郎全集」12巻)

本日(2012年4月4日)は岡田が亡くなってからちょうど80年に当たる。

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