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2012.04.01

OSN077国民新聞社

近代日本を代表するジャーナリスト、徳富蘇峰が経営する国民新聞社の社屋は日吉町(銀座)にあった。この建物は関東大震災(1923年)で焼失してしまい、震災直後は一時、F.L.ライト設計の帝国ホテル内に編集部が置かれた。
岡田が設計し、木造バラック建ての仮社屋を建てたことは、以前の項「関東大震災後の仕事」でも書いたとおり。

本建築も岡田の設計によるもので、場所は加賀町(銀座)に移り、1926年に竣工した。古典様式系のデザインで、高い時計塔が特徴であった。施工は上遠組である。
(作品リストには、「国民新聞社 地階附3階建て、鉄筋コンクリート造 人造石ヌリ (延坪数)1,300坪 (竣工、大正)15年4月」とある)

青山会館、徳富邸、民友社(木造)など、徳富蘇峰関係の仕事を多く手がけた岡田にとって、国民新聞社の仕事を引き受けたのは、ごく自然な流れだったことだろう。

…と数年前まで考えていたのだが、意外な資料が見つかった。

震災の翌年1924年1月に、国民新聞新社屋の計画がパース図とともに発表されるが、設計をしたのは岡田ではなくて、ヴォーリズであった。
なぜヴォーリズに頼むことになったのだろうか。

震災後、個人経営だった国民新聞社は資金難に陥った。
そのとき資金提供を申し出たのが、主婦の友社の石川武美で、石川は副社長に就任した。
石川といえば、クリスチャンとしても知られ、震災後の主婦の友社(1925年)はヴォーリズの作品である。おそらく、石川の縁からヴォーリズに設計を依頼することになったのではないか、と思う。

しかし、新聞経営は勝手が違ったようで、結局石川は5か月ほどで辞任してしまった。
(石川が経営から離れたことで、設計も白紙になったのだろうか…。この辺はまだ不明である。)
(1940年、石川は蘇峰の蔵書約10万冊、成簣堂文庫を一括購入した。現在はお茶の水図書館の蔵書である。)

【参考】有山輝雄「徳富蘇峰と国民新聞」(1992年)

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