« OSN070関東大震災後の学校 | トップページ | OSN072関東大震災後の言論 »

2012.03.16

OSN071関東大震災後の仕事

鎌倉では東京よりひどい揺れと津波による大きな被害があった。
岡田が設計した鎌倉の別荘は、他の建物が倒壊する中でも無事であったので、岡田の評価が一躍高まった、という話がある。

岡田信一郎君が鎌倉に新築した別荘の洋館はアタリ一面崩壊したマン中にビクともせずに立つてゐる。流石は岡田さんだと早くも設計依頼者が殺到して目の廻る忙しさだ、府から、市から会社から、個人から現存建築の健康診断を依頼される。朝から夜まで引張凧でヘト/\に疲れ乍ら、俺も医者の仲間入りして慈善行為をやつてゐるよと大気焔だ(中央美術}
もっとも、同じ鎌倉でも、米山梅吉別邸は煉瓦造の煙突部分が崩れてしまった。これは施工者の竹中工務店が部材を活かして再建したということである。
Nikorai
別荘が無事だったせいばかりではないだろうが、実際、岡田の許には、バラックの建設や、被害を受けた大小の建物についての相談など、復興のための仕事が数多く来ていた。(以下、時期は前後する)

○国民新聞社…徳富蘇峰が経営する国民新聞社は銀座にあったが、震災で焼失してしまい、木造バラックで社屋を再建した。
蘇峰は後に自伝の中で感謝の言葉を述べている。

当時青山会館の新築中であったから、その工事に従事する人 [小林富蔵] 、及びその監督者たる、岡田学士の好意によって、案外速やかにもとの焼跡に仮普請も出来た。
○日本赤十字社…日本赤十字社本社では、震災の罹災者のため、本郷区元町の松平伯爵邸内にバラック建ての臨時産院と臨時乳児院を開設した。図面が残っており、岡田の設計によるものらしい。
また、日本赤十字社本社の建物(妻木頼黄設計)は震災で被害を受け、本社は東京府農会の建物に間借りしていた。岡田は本社の復旧工事を担当した。(1926年3月竣工)

○東京美術学校…地震で煉瓦造の文庫(小島憲之設計)が被害を受けた。復旧のための詳細設計を岡田が行った。これをもとに11月15日、正木校長が関係書類を文部省に提出した。

○東京府庁舎…丸の内の府庁舎(妻木頼黄設計)は火災を免れたが、震災による被害を受けていた。10月3日、依頼を受けた岡田は建物を調査し、「建物は頗る危険でもう一度大きな地震でもあれば一堪りもなく潰れてしまふ」と言った。一方、内務省技師の角南隆の意見では、応急の修繕工事で問題ないということだった。(読売新聞)
結局、大がかりな復旧工事が行われることになったようだ。

○東京府知事官邸…芝公園の官邸(久留正道設計)が被害を受け、岡田が復旧工事を担当した。

○東京復活大聖堂(ニコライ堂)…煉瓦造の大聖堂(コンドル設計)は、火災により内部を焼失し、ドーム屋根が崩れ落ちるという大きな被害を受けた。岡田が教会関係者の依頼を受け、現地を訪れたのは10月10日であった。
これも岡田が復旧工事を担当した。(1930年2月竣工)

この他にも、石黒忠悳邸の土蔵修復の相談に乗ったり、バラック建築の設計などを行っていた。

上野の帝室博物館(コンドル設計)は、震災で大きな被害を受け、取り壊されることになったが、岡田は当時行われた座談会で、自分に任せてくれれば、という意味の発言をしている。
11月27日、正木校長と岡田は、博物館の大島総長を訪ね、美術館の敷地について相談した。その後、「大島氏の案内にて(…)博物館本館の震害の程度を視察」した。既に10月末に、爆破する方針が決まっていた。

(画像は建築雑誌447号、ニコライ堂)

|

« OSN070関東大震災後の学校 | トップページ | OSN072関東大震災後の言論 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« OSN070関東大震災後の学校 | トップページ | OSN072関東大震災後の言論 »