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2012.03.13

OSN070関東大震災後の学校

岡田が勤めていた東京美術学校と早稲田大学の地震後の様子を見ておきたい。
どちらの学校もまだ夏休み期間で帰郷していた学生が多かったようだ。

東京美術学校校長・正木直彦の「十三松堂日記」によると、学校そのものの被害は少なかった。

学校より使を以て震災被害の報告あり 文庫小倉庫の屋根瓦全部墜落し建築科煉瓦造教室に多少の亀裂ある外別に損害なしとの事
地震の際、正木自身は文部省にいた。煉瓦の煙突が倒れてきて、テーブルの下にとっさに身を隠して助かったという。危ないところであった。
やがて市内で火災が広がると、上野公園には家を失った多くの人々が集まり、美術学校敷地内でも避難者を受け入れた。学校が再開するのは、11月1日のことである。公式サイトに載っている佐藤道信氏の「関東大震災」が参考になる。

この間、10月1日付で岡田は美術学校の教授に就任した。これは震災の前から話が進んでいたものである。
岡田は東大教授になる積りでいたようで、美術学校では長い間嘱託(講師)のままだった。1923年から1932年に亡くなるまでは、高等官ということになった。

早稲田大学では、煉瓦造の大講堂が崩壊するなどの被害があり、また応用化学実験室の薬品から火災が起こった(多くの学校で、薬品から火災が発生した)。

建築学科3年の有志約20名は、臨時震災調査会として、地震による市内建築物の被害状況を見て回り、後に「早稲田建築学報」誌上で調査報告を行った。
(この調査は、岡田は直接は関わっていないようだ)。
授業は10月11日から再開された。
また震災の影響により、故総長大隈記念事業がしばらく中断した。震災直前に記念大講堂(後の大隈講堂)の設計コンペが行われており、前田健二郎と岡田捷五郎による設計案が1等当選していた。また、図書館(今井兼次設計)が建設中だった。
大隈講堂のコンペについては、後で書きたい。

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