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2012.02.29

OSN065歌舞伎座(続)

■唐破風の曲線
岡田の弟・捷五郎が、歌舞伎座建設当時の思い出を書いている。

当時としてはこれだけの大きい建物と、且つその細部にわたる桝組その他の細かい部分を造り上げるのに中々の苦心を要したものであつた。殊に正面玄関上の唐破風の如きは、原寸図を描いて現場に掲げ、これを望見して曲線の訂正、左右の均整等々を行なうのであるが、遠くから見ていてその欠点の箇所がわかつても、接近すると何の部分だつたか解らなくなつてしまい、何度か同じようなことを繰り返えしたこともあつた。
屋根の反りは日本建築の命とも言われるが、微妙な曲線を決めるために、(今日的に見れば無駄に見えるかもしれない)努力が現場で重ねられていたのである。

Kbkzp1030891■木村得三郎
1914年(大正3年)に東京美術学校図案科を卒業した木村得三郎という人がいる。岡田の教え子である。卒業後は大林組に入り、自社設計の大阪松竹座(1923年)、先斗町歌舞練場(1927年)、東京劇場(1930年)などを担当した。
この木村が歌舞伎座の設計を手伝ったという話が村松貞次郎の「日本建築家山脈」に書いてある。当時の様子を知る人が「岡田さんは病身であのころはドテラを着ておられ、ほとんど外に出られなかった。大林の木村という人が、だいぶ手伝った」と語っていたという。

歌舞伎座は1922年6月に着工、1923年5月に上棟式を迎えた(9月に関東大震災があり、一時工事が中断)。
大阪松竹座の開場は同年5月で、それまでは木村も忙しい時期だったのではないか。手伝ったとすれば、松竹座の仕事が一段落してからだろうか。

■ドレスデン新劇場
岡田は歌舞伎座の設計にあたって参考にした劇場として、「ドレスデン新劇場」(neue Königliche Schauspielhaus,Dresden)を挙げている。
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有名なゼンパー・オーパー(19世紀建設の国立歌劇場)と紛らわしいが、こちらは1913年に建てられた劇場で、外観はユーゲントシュティル風。(ドイツ語版Wikipedia
当時のドイツでは、劇場建築で舞台装置に様々な革新が行われていたが、中でもこの劇場はホリゾントやシンキング・スライディング・ステージ(沈下すべり舞台)を備え、最新の設備を誇る劇場と評価されていた。
(ちなみに、1945年のドレスデン空襲では大きな被害を受けたが、1948年にいち早く復興した)

シンキング・スライディング・ステージは、日本の回り舞台を立体的にしたようなもの(?)。セットを組んだ舞台を上下に動かし、奈落の下で左右に滑らせるようにしてあり、舞台転換を早く行う仕組みである。

歌舞伎座でこうした設備をそのまま採用した訳ではないだろうが、岡田が海外の情報をよく研究したうえで設計にあたっていたことが伺えると思う。

【参考】「高等建築学」22(1934、断面図は同書からの引用)、「近代の劇場建築」(1930)ほか。

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