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2012.02.27

OSN064歌舞伎座

歌舞伎座については以前にも書いたことがあるし、「歌舞伎座百年史」など関係資料も多いのだが、何点か補足しておきたい。

■建築音響について
岡田が設計した歌舞伎座の音響について、改めてまとめておく。取壊し前の歌舞伎座の音響のよさには定評があったが、吉田五十八の改修による部分も大きく、オリジナルの音響がどうだったかというのは、中々難しい問題である。

(1)大学での卒業論文に「建築音響」をテーマに選んだほどで、岡田も音響には深い関心を持っていた。しかし、明治~大正当時の研究レベルは多分に経験的なものに留まっており、岡田の知識もそれを超えるものではなかったであろう。(→歌舞伎座の音響4

(2)日本で本格的な建築音響の研究が始まるのは、W.C.セイビン(ハーバード大学教授)の理論が導入されてからである。早稲田大学の内藤多仲及び黒川兼三郎はアメリカに留学した際、セイビンに会って教えを受けた。岡田も、帰国したばかりの黒川から最新の建築音響理論を聞いていたかもしれない。(→歌舞伎座の音響7

(3)苦心して設計した歌舞伎座の音響効果は、岡田自身満足できるものだった。竣工間近に舞台で発声してみた幹部たち(注)から誉められた岡田は、大喜びで正木校長のもとへ報告に行ったという。(→歌舞伎座の音響3の後半)

探索不足で歌舞伎座の音響に対する当時の論評をまだ見ていない。あればご教示いただきたい。

(注)当時の幹部と言えば、五代歌右衛門(千駄ヶ谷に広大な邸宅があった)、七代中車、十五代羽左衛門、十一代仁左衛門あたり。

■和風意匠について
明治時代に建てられた歌舞伎座は、1921年(大正10年)10月30日の朝に火災が起こり、40分ほどで全焼してしまった。原因は漏電だったようだ。さっそく松竹の大谷竹次郎が中心になって善後策を協議し、11月4日の重役会で次のように決まった。

一、直ちに劇場新築の計画に着手する事。
一、昼夜兼行で工事を急ぎ、一ヶ年で落成を期する事。
一、建築の様式は耐火式とし、而も外観は模範的大劇場として、国粋的美観を表わす事。 (「歌舞伎座百年史」)
「国粋的美観」ということは、歌舞伎の殿堂らしく和風のデザインで、という構想が早くから決まっていたのだろう。ただ、一口に和風と言っても表現の幅は広いはずである。お寺とも城郭ともつかぬ、過剰な和風デザインになったのは何故だろうか。

鉄筋コンクリート造で軒裏の垂木や柱上の組物などを造ってみても、構造的な意味はなく、無駄と言えば無駄である。また、岡田自身の過去の言論とも矛盾するように思われる。日清生命保険会社の設計コンペ(1916年)で審査員を務めた岡田は、和風の屋根をかけた「日本趣味」の設計案が1等当選をしたことに対して、次のように述べていた。

自分は此の審査に関与した結果、将来の国風なるものに対して過去の形骸が多くの価値を持って居ないと言ふ事を一層確信した (「日清生命保険会社建築設計競技に就て」)
こう主張していた岡田が、わずか数年後に歌舞伎座を設計したことは、言行不一致と言われても仕方ないだろうか。

ただ、歌舞伎座の過剰な和風デザインはまったく無駄だった訳ではない。特徴ある外観はいかにも歌舞伎劇場らしいものだし、味気ないビルが並ぶ街中で異彩を放つ建物を見て、多くの人がさすが歌舞伎座だと感じていたのである。

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コメント

建築音響について検索していたら建築雑誌の記事に気が付きました。
http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E5%BB%BA%E7%AF%89%E3%81%A8%E9%9F%B3%E9%9F%BF
「サバイン教授」の論文「建築と音響との関係」の翻訳で、サバイン=セイビンだと思います。1901~03年の掲載です。

投稿: 学徒 | 2012.03.02 01:56

内藤多仲の回想をうのみにしてましたが、セイビンの建築音響理論は早くから紹介されていたことになりますか。1903年は岡田が大学に入った年です。
もう少し調べてみます。

投稿: 岡田ファン | 2012.03.03 01:30

日比谷公会堂を中心に、1920年代の建築音響の状況を論じた中川雅登氏の一連の論考があります。
日本近代劇場建築における音響設計の役割(2001、修士論文)
日比谷公会堂における佐藤武夫の音響設計(2001)
日比谷公会堂大講堂における音響設計の役割(2001)
宝塚大劇場の日本劇場建築史上における意義(2002)
(ciniiなどで閲覧可)

宝塚大劇場→日比谷公会堂がその後のホールの設計に大きな影響を与えたという論旨です。ただ今日では、日比谷公会堂も、音楽向けのホールとしてはそれほど評価されてないようです。

投稿: 学徒 | 2012.03.29 23:31

1923年に宝塚歌劇団の劇場が焼失し、1924年に宝塚大劇場竣工ということで、歌舞伎座よりも後の話になりますが、劇場のプランの変遷という点で参考になります。

岡田が歌舞伎座の後に設計した都座(1926年計画案のみ)でも、平面は矩形です。
色々と考えさせられます。

投稿: 岡田ファン | 2012.03.30 23:38

http://www.kabuki-za.co.jp/rebuild/news/146

歌舞伎座のサイトに、音響について詳しい記事が載ってました。

投稿: 岡田ファン | 2012.05.22 23:23

リンク先が変わってました。
http://www.kabuki-za.co.jp/rebuild/news/148
(歌舞伎座の音づくり)

投稿: 岡田ファン | 2017.02.26 01:31

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