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2012.02.05

ONS059大阪市公会堂(続)

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■岡田の抗議?
実施設計は、大阪の辰野片岡事務所(実質的には片岡安)が行ったが、考えてみるとコンペで落選したはずの片岡が、岡田の当選案に変更を加えているのだから、妙な話である。
(辰野金吾にしてみれば、元々自分が設計するのが当然という意識なのだろう)

さすがに、岡田の当選案がいつの間にか(?)設計変更されていたことを問題視する意見があった。

○伝聞するところに拠れば、先頃大阪市公会堂事務所が、懸賞競技を以て募集したる建築図案は、其後当選者に対して協議を経ず、縦に大に改刪せられたりと。果して事実ならば、容易ならざる出来事なり。(美術週報)

○作品が他人の手で改悪せらるゝとは、痛ましいと云はうか嘆かはしいと云はうか初めの作家設計者に対しては誠に気の毒の次第で、先の名誉、今は却つて恥となる始末である。(…)斯の如きは折角芽ざして来た懸賞設計といふ事に取つて大なる厄であるのみならず、今後は応募する人もなくなり、建築界の由々しき大事であると思ふ。(建築画報)

○曾て大阪公会堂の建築施工に関し、某工学士は憤然抗議を申込みたることありと聞けり、施工者が設計者の技能を尊重せず、任意に設計図案を破壊し去るの妄挙に出でしが故と。(建築画報)

最後の引用文にあるように、岡田は実際に公会堂事務所(または辰野や片岡)への抗議に及んだのだろうか?

■松本与作の証言
当時、辰野葛西事務所(東京)にいた松本與作の聞き書きをもとにした「谷間の花が見えなかった時」に次のようにある。

ある日この岡田信一郎が辰野金吾の事務所へ、大阪中央公会堂の設計図案を携えてやってきた。(…)辰野はこの図案をみると直した方がよいと言い、二階の設計室で松本與作に修正を指示した。そして実際に完成したのはこの修正案の方である。このとき岡田信一郎は松本與作にこう話していたという。「先生が直された方が、やっぱりいいようだね」と。
はるか後年の回想であり、史料批判の問題はあるが、これが事実とすれば、岡田の目の前で当選案に修正が加えられたことになる。
だが、それ以上に実施設計や監理の段階でまったく関与できなかったことが残念だったに違いない。さすがの岡田も辰野金吾には逆らえず、諦めたのだろうか。論文「新日本の建築」で暗に辰野金吾を批判したのは岡田なりの抵抗だったのかもしれない。

松本は1890年(明治23年)9月生まれで岡田の7歳下である。1907年7月、18歳で夜学の工手学校を卒業したが、岡田は同年2月から同校の講師をしていたから、松本も知っていた可能性がある。
(写真は2008年9月撮影)

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