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2012.01.20

OSN051議院建築

久々の「岡田信一郎の謎」シリーズ。
タイトルの議院建築とは国会議事堂(帝国議会議事堂)のことです。

東京芸術大学美術館には「議院建築」の図面が次の2種類収蔵されている。
(1)「議院建築図案」9枚…山田猷の卒業制作、1919年(大正8年)制作、1919年3月28日買入
(2)「議院建築設計図案」10枚…制作者名の記載なし、1919年制作、1920年5月8日買入
データベースで検索。

近代建築史を通読した人なら、1919年と聞いて議院建築の設計コンペを思い出すかもしれない。タイミングから見て、この2図面は設計コンペに関係があるのではないか?

設計コンペ(当時の言い方では、議院建築意匠設計懸賞募集)は、1918年9月16日の官報に公告が出され、締切日(第一次)は1919年2月15日。118通の応募があり、一次審査の当選20作の発表は3月24日であった。(ちなみに議院建築のコンペ開催に執念を燃やした辰野金吾は審査員であったが、発表直後の3月25日に死去した)

(1)の設計者、山田猷(1892~1984年)は東京美術学校の図案科第二部出身で岡田信一郎(当時は講師)の教え子の一人。1919年3月に卒業した。
美術学校が図面を買い入れたのは3月28日だが、卒業制作は2月までには完成していたことだろう。2通りの図面を作り、一方をコンペ用、もう一方を学校用、とすることも日程的には十分可能である。

こうした事例が他にあるのかどうか知らないが、同じデザインで二か所に提出するというのは、さすがに具合が悪いと思う。(コンペの審査員には美術学校の正木校長も加わっており、不公平だと批判を受けかねない)
そもそも設計コンペには応募しなかったかもしれないし、デザインを変えてA案・B案と二通り作ったかもしれないが、そのあたりは何ともわからない。
山田の卒業設計は残念ながら先のデータベースでは見られないが、「東京芸術大学芸術資料館蔵品目録 図案・デザイン 建築」(1991年)に小さな図版が掲載されている。

第一次審査の当選20作の図版は「帝国議会議事堂建築報告書」(1938年)に掲載されているが、いずれも本名は記されておらず(公平を期するため、暗号で応募するようになっていた)、誰が一次審査を通過したのか、誰がどの案を制作したのかはわからない。

なお、山田猷(山田猷人)は卒業後、曽禰中條事務所に在籍していた。
橋本正明氏のサイト、木人子室に「山田猷は東京美校のデザインを出たが、当時 [昭和14年] は国鉄の仙台勤務、休日毎にこけしの産地巡りをしていた。」という記述を見つけた。「東京こけし会」というグループに入っていたそうだ。

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