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2012.01.28

OSN055議院建築コンペ(続)

前田健二郎が続いて挑んだのが1919年の議院建築コンペである。その際のエピソード。

確か議院建築懸賞の第二項[第2次?]応募締切の前日でありました。数日前から不眠不休努力の最中風雨強く往来の行き来も殆んど絶えた夜遅く、先生は一人外套も着られず半身雨に濡れ乍ら尋ねられて私の出来栄えを心配され、何かと入念な心遣ひをして下された (「建築雑誌」557号)

岡田の弟子思いな面が伺われるエピソードである。当時の新聞記事で天候を調べると、第二次審査の締切(1919年9月15日)前に、9月13日まで雨が続いており、岡田が来たというのはこのときであろう。

前田は後年、(学生時代に)美術学校の後輩、矢部金太郎(1918年卒)や岡田捷五郎(1920年卒)、吉田五十八(1923年卒)らとよく遊び、またコンペに応募した思い出を語っている(「新建築」吉田五十八追悼記事)。
おそらく議院建築コンペでもこれらのメンバーが手伝ったのであろう。
実弟の捷五郎が手伝っていたとすれば、風雨の中、わざわざ前田のもとを訪れたというのも、納得できるが…。

「前田建築事務所の歩み」にはさらに次の記述がある。

私は幸いに一次をパスし、二次で四等 [?] に入りました。その図面を岡田信一郎先生が熱心に説いて下さって、美術学校が教材として200円で買い上げてくれました。

ここでようやく芸大美術館所蔵の図面の話に戻る。(議院建築の項)
制作者名の記載のない「議院建築設計図案」(1920年5月8日買入)は、前田健二郎の設計案ではないかと思うがどうだろうか。
「帝国議会議事堂建築報告書」に掲載されている一次審査通過作品の中に前田案が含まれているはずであるが、一次・二次でデザインを変えており、どれが前田のものか、よくわからない。
(ちなみに、コンペ主催者から一次審査通過者に対して、応募作品に議院建築として品位に欠く外観のものが多かった、一次で提出した設計案にこだわらず優秀な作品を完成させよ、という趣旨の注意が与えられていた)

ただ、前田が二次で四等入選と言っているのは勘違いであろう。募集規程によれば、一等~三等が当選で、四等というのはない(三等は2名枠だが、前田は入選していない)。前田は一次審査当選、二次審査落選ということになる。
募集規程には当選設計の図書及び意匠は臨時議院建築局の所有とし、当選しなかった設計図書は還付する旨が記されているので、一次の応募作は返却されず、二次の分が返却されたはずである。

さて、帝国議事堂関係の図面類は関東大震災の際に焼失してしまったという。
コンペ関係資料も失われてしまったとすると、芸大美術館所蔵資料は、当時の貴重な資料ということになるのでは…(詳しい方のご教示をお願いしたい)

なお、議院コンペと同年の1919年、前田は逓信省から第一銀行建築掛に転じた。理由など詳細は不明だが、コンペとの関連があるのだろうか?
第一銀行には、岡田の後輩、西村好時がいたので、岡田が就職先を紹介した可能性もありそうである。

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