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2012.01.27

OSN054議院建築コンペ

議院建築の設計コンペが実際に行われたのは公会堂コンペの7年後である。この頃までには大規模な建築に際してはコンペを開催することも広く見られるようになってきた。

ただし、(昭和初期に至るまでほとんどの)設計コンペは優秀な建築家を選定するものではなかった。むしろ、(多くの場合)主催者側が平面図を用意しておき、新人が腕試し(あるいは賞金稼ぎ)でデザインを応募し、主催者側はその中からよさそうな案を選び、適宜修正して用いる(まったく違うデザインで完成した事例も数多い)、といったものになってしまっていた。つまり多くのコンペはファサードデザインコンテストにすぎず、当選者も実施設計には関与できず、設計者の著作権に対する配慮も欠けたものであった。(近江栄「建築設計競技」参照)

これは大阪市公会堂コンペにも見られた弊風であった。
本来はコンペを勝ち抜いた実力ある建築家が設計を任され、その腕を振るうというのが望ましい姿なのだろうが…。

さて、議院建築(1919年)コンペには、岡田信一郎自身は関与していない(はずだ)が、美術学校での教え子、前田健二郎(1916年卒、当時逓信省)がコンペの一次審査を通過し、二次審査に進んだ。

ここでまた寄り道になるが、前田健二郎(1892~1975)の回想と作品を収めた「前田建築事務所の歩み」(1973年?)という本に色々と面白い事が書いてあるので、紹介してみたい。

前田は明治の終わる年、1912年に東京美術学校図案科に入学した。2年生のときに農商務省の工芸図案展覧会(?)で二等入選したというから、早くからデザインに巧みだったことがうかがえる。
この腕を生かして建築パース図(透視図、背景図)のアルバイトをこなし、特に岡田信一郎の推薦が多かったという。小遣いには恵まれており、同じ下宿の東大生や美術学校の仲間と吉原で遊ぶこともあった。

1916年(大正5年)に美術学校を卒業し、逓信省に入ったが、当時はまだ「美術学校でも建築を教えているのか」と不思議がられ、同僚に「僕たちと同じような図面を引くじゃあないか」などと言われて悔しい思いをした。
(1912年、前田と入れ替わりに美術学校を卒業した和田順顕にも同じような話がある)
「いまに見ろ」ということで、よけいコンペに精を出すようになったという。

はじめに応募した聖徳記念絵画館の設計コンペ(1918年実施)は落選だった。ちょうどこの年に東大を卒業し、逓信省に入ってきた岩元禄と意気投合し、議論ばかりしていたため、という。

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コメント

前田健二郎さんについての記事、楽しく読まさせていただきました。この記事を見て「前田建築事務所の歩み」という本を読んでみたいと思ったんですが、どこで手に入れるんですかね?

投稿: 近代建築 | 2016.07.25 15:34

コメントありがとうございます。
「前田建築事務所のあゆみ」は「銀座モダンと都市意匠」P153(資生堂ギャラリー)にも参考文献として載っていますが、確かに各種検索でヒットしませんね。(国会、都立、建築学会、cinii等でもなし)
入手となると、日本の古本屋あたりでこまめに探すしかないかもしれません。
(手元には岡田信一郎に関係しそうな部分のコピーのみです)
あまりお役に立てず、すいません。

投稿: 岡田ファン | 2016.07.25 23:27

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