« OSN051議院建築 | トップページ | OSN053妻木・辰野と大阪市公会堂 (続) »

2012.01.25

OSN052妻木・辰野と大阪市公会堂

岡田信一郎の出世作といえば大阪市中央公会堂の設計コンペに当選した計画案であるが、このコンペは議院建築の建設計画と関わりがある。
以前に「月刊岡田信一郎」(第3号第4号)に書いたのだが、岡田が大学を卒業したのは1906年で、日露戦争が終わった翌年である。戦争に勝った勢いか、この頃から議事堂を本建築で建設しようという機運が高まってきた。第1回の帝国議会が開かれたのは1890年11月だが、十数年以上経っても、議事堂は木造の仮建築のままだったのである。
(Wikipediaで官庁集中計画とか、国会議事堂のあたりを参照)

ここで官庁主導で議事堂の設計を進めようとする大蔵省臨時建設部の妻木頼黄と、設計コンペの実施を要求する建築学会の辰野金吾の対立が起こった。
妻木は、コンペの実施には時間も費用もかかるし、そもそも、一流の建築家が審査員になるのだから応募するのは二流の人物ばかりになるではないか、と言ってコンペ実施に反対した。一方、辰野の方は、コンペの正当性を主張するが、あわよくば自らが議事堂を設計することを念願としていた。
(このあたりは、きちんと書かないといけないが、今はごくおおざっぱな説明に留めておく)

建築史上はルネサンス期のフィレンツェ大聖堂、フランスのネオバロック様式のオペラ座、イギリスのゴシックリバイバルの国会議事堂などのコンペが有名である。時代を代表する建造物を築くにあたっては、コンペを開催するのが理想的なのだろう(?)。
だが、当時の日本ではまだコンペが定着しておらず、わずかな先例しかなかった(実施が増えてくるのは明治40年代以降である)。
コンペ推進論者側にとっては、まずコンペ開催の実績を積み、コンペを通して優秀な作品を選ぶことができることをアピールする必要があったはず。
辰野は大阪市公会堂の建築顧問に就いており、コンペ開催には辰野の意向が大きく働いただろうと想像される。

|

« OSN051議院建築 | トップページ | OSN053妻木・辰野と大阪市公会堂 (続) »

コメント

前に美の巨人で、辰野金吾と国会議事堂の話をやってました。辰野が設計したらどんな議事堂になっていたんでしょうか。

投稿: 不明 | 2012.01.27 14:19

バックナンバーにありました。(昨年8月放送)
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/110806/index.html
番組は見逃しましたが(鈴木先生あたりが出演?)、妻木VS辰野の対立なんていうマニアックな話も結構知られてきたのか?

投稿: 岡田ファン | 2012.01.28 02:07

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« OSN051議院建築 | トップページ | OSN053妻木・辰野と大阪市公会堂 (続) »