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2011.12.21

OSN050村井吉兵衛邸

たばこ王と呼ばれた村井吉兵衛が山王台(永田町二丁目、現在日比谷高校がある場所)に建てた邸宅について、2005年に一文をまとめたことがある。

村井吉兵衛邸(山王荘)をめぐって

実を言うと、今のところ村井邸と岡田信一郎の関係を示す資料は「山王荘図集」(洪洋社)しか見当たらず、もう少し裏付けがほしいところである。同じ洪洋社刊行の「住宅外装集」(1938年)にも村井邸が紹介されているが、ここでは単に「小林富蔵氏設計」としている。

2005年当時は小林の没年などが不明だったのだが、その後資料が見つかった(単純な見落としで、お恥ずかしい限り)。
補足しておくと、小林は1872年(明治5年)12月生まれで、1935年(昭和10年)4月21日に死去した。
養子の小林徳(岡田信一郎の事務所に在籍し、明治生命館の工事に従事したこともある。旧姓館野)が「小林富蔵」の名を継ぎ、しばらく活動を続けた。ただし、その後の消息はよくわからない。
六本木にあった山尾三郎邸、赤坂の虎屋、浅野八郎邸(岡田捷五郎設計)、正木記念館(1935年7月竣工、金沢庸治設計)なども小林組の施工作品である。(「土木建築業並関係業者信用録 昭和11年度版」)

また行方のわからなかった茶室の一部が根津美術館に移築されていることもわかった。
(「東京都の近代和風建築」によれば、1931年に赤坂の大倉邸に移築され、戦後に再び移築)

先の一文では敷地内にあった洋館についてふれなかったが、これは吉武長一設計、清水組施工で1912年7月起工、1913年(大正2年)5月に竣工した(「建築工芸叢誌」第2期2号)。
その後、洋館は1924年に設立された日仏会館のため、村井吉兵衛から無償で提供されることになった。村井の逝去後、敷地が売却される際はいったん解体され、部材がフランス大使館の敷地内に保管された。
その後、神田駿河台に移築され、図書室などを建て増して、引き続き日仏会館として使われた。
(「日本建築士」1931年4月号によれば、工事期間は1928年10月~1929年6月で、吉武建築事務所設計、大林組施工である)
この洋館は戦後の1958年まで使われたが、新たに日仏会館を建てるため、解体された。再び移築されてゴルフ場のクラブハウスになるという話があったようだが、どうなったのかわからないらしい。(「日仏文化」1974年)

なお、ガーディナー設計の村井吉兵衛邸(明治45年頃)が「図面で見る都市建築の明治」に掲載されているが、これは別の場所(永田町一丁目、自民党本部あたりか)にあった方の村井邸だと思う。

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コメント

長楽館で村井吉兵衛さんの展覧会があったようですよ。行けませんでしたが。

投稿: ヘタレンジャー | 2011.12.21 20:29

またも見落とし!
しかも村井吉兵衛保存会って…どういう活動をしているのか気になります。

投稿: 岡田ファン | 2011.12.22 00:07

会長の土手さんは長楽館オーナーの方だとか。

投稿: ヘタレンジャー | 2011.12.23 14:33

長楽館で発行している「長楽未央」を見ても保存にかける熱い想いが感じられました。
http://www.chourakukan.co.jp/information/miou/

投稿: 岡田ファン | 2011.12.24 01:58

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