« OSN048内田祥三の説得 | トップページ | OSN050村井吉兵衛邸 »

2011.12.20

OSN049神楽町へ

岡田信一郎は1920年(大正9年)に牛込区神楽町(現新宿区神楽坂)2丁目22、23の家2軒と土地を購入し、自宅及び事務所とした。東京物理学校のすぐ近くである。

引越したのは8月末か9月で、移転の理由は、事務所のスペースを確保し、設計の仕事を増やせるようにするためであろう。神楽町は恩人の石黒忠悳の自宅(揚場町)に近いほか、飯田橋駅が近く交通の便がよい。
夫人が花柳界出身なので、三業地のある神楽町にしたのだろうと想像する人もいるようだが、関係ないと思う。

神楽町に移ってから大阪高島屋のような規模の大きな仕事も入るようになってきた。大阪高島屋は1921年5月着工、1922年9月竣工で、1920年中には設計が始まっていたと思われる。
1921年10月に漏電のため焼失した歌舞伎座についても、同年11月に岡田の設計により再建することが決まった。(早稲田での教え子、三井道男が入所するのも同じ11月)
12月には徳富蘇峰が青山の自宅を提供し、岡田の設計により青山会館を建設することが発表された。

神楽町の家についてエピソードがある。岡田に家・土地を売った元の所有者某氏が、別の人からも手付金を受け取っていた。手付金の返還をめぐって訴訟となり、(岡田側には責任もないのだが)証人として呼び出された。岡田は都合が悪かったのか、代わって夫人が出廷し、「萬龍さんが法廷に」ということで新聞沙汰になるという一幕があった。
(裁判がその後どうなったのかはわからない)

岡田は1932年に亡くなるまでこの家で過ごし、多くの作品を生み出した。そこでこの時期を勝手に「神楽町時代」と呼んでいる。
岡田の没後は、弟の捷五郎が事務所を引き継いだ。
建物は1945年の空襲で焼失し、その後捷五郎が自宅を再建するが、東京理科大学が敷地を拡張するため買収された。現在は大学の敷地の一部となっており、当時の面影は何もない。

【余談】中村吉右衛門、川合玉堂の家が近くにあった。

|

« OSN048内田祥三の説得 | トップページ | OSN050村井吉兵衛邸 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« OSN048内田祥三の説得 | トップページ | OSN050村井吉兵衛邸 »