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2011.12.08

OSN041高木博士邸

岡田の初期作品に高木豊三邸がある。
「建築工芸叢誌」20(1913年9月)の「高木博士邸の建築」で岡田自身が紹介しているもので、牛込区市谷砂土原町2丁目1の3に建てられた。施工は戸田組である。

高木豊三は法律家で、貴族院議員も務めた人物。もともと岡田家と同じ東五軒町に住んでおり、「博士の令息とは小供の時分からの友達」である。
岡田が「所要の敷地としては少しく小さ過ぎる」と書いているのを鵜呑みにしていたが、確認したところ、320坪あった(今の感覚から言えば十分広い)。

高木邸は道路側にハーフチンバーの木造2階建洋館、敷地奥の方に日本室(和館)を置いた。東西に細長い敷地で、日当たりがよく「陽気で愉快な室になつた」という。座敷の方には、結城素明デザインによる透かし欄間を入れることにしている(欄間や家具は制作中)。

ところで、戸田組の「創業追想」で紹介されている高木博士邸の記述を見ると、

高木氏(司法次官、法学博士)邸工事 明治三十九年下期 [1906年]
場所は牛込区薬王寺町、木造純日本式、四〇坪程
(…)設計監督には明治三十九年七月東京帝国大学建築学科を出たばかりの銀時計組の逸才、岡田信一郎先生が当たつている。
経験は浅いが大変出来る人であつた。
とあって、疑問が生じる。1906年に住宅を建てたばかりで、1913年にまた建てたのだろうか? 単に戸田組の竣工年が誤りなのか?

ここで気になるのは「薬王寺町」という地名である。岡田が1912年に薬王寺町に引っ越す理由がよくわからなかったのだが(前出)、あるいは高木邸と関係があるのだろうか…?

※交詢社の「日本紳士録」で見ると、高木豊三の住所ははじめ「東五軒町44」で、1909年~1911年頃の版では「麹町区内幸町1-3」になっている。(内幸町はビジネス街だから事務所の所在地かもしれない)
1917年の資料では「砂土原町2-1」となる。(砂土原町は、後に岡田が住む神楽町に近い)

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