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2011.11.05

OSN016薬剤官の仕事

岡田謙吉は1877年(明治10年)の西南戦争での功により昇進したという話もあるのだが、よくわからない。西南戦争のとき熊本に行ったという話もあるが、実際は大阪の陸軍臨時病院にいたようである(石黒が病院長)。史料の裏付けがほしいところである。

その後、いったん東京の陸軍本病院に戻り、1878年~1882年は熊本鎮台病院に赴任。この時期に長男が生まれ「阿蘇男」と名づけた(家族も熊本に行ったのか?)。
次男の信一郎が生まれたときには東京に戻っており、東京陸軍病院勤務だった。

ここで薬剤官の仕事について書いておく。
陸軍の衛生部で薬剤や衛生材料の事務を扱うのが「薬剤官」である(昭和になって薬剤将校という名称になった。現在の自衛隊では薬剤官)。
薬剤官の中に階級があり、(明治当時は)薬剤官の中の最高位が「薬剤監」で、次いで一等薬剤官、二等薬剤官、剤官補…となっていた。
配属先は主に各地の病院であった。軍医と違って前線に出ることはなかったようだ。

(理解不足な点は詳しい方のご教示をいただきたい)

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コメント

大阪陸軍臨時病院は 同じく西南戦争に従軍した 軍医・手塚良仙(手塚治虫 氏の曾祖父)が、治療の甲斐なく 亡くなられた場所なので、興味が ありました。

直接 閲覧していないので 心持たないのですが、『明治十年西南戦役衛生小史』(1912年 西村文雄) に「劑官副/岡田謙吉」とのみ記載が あるようです。
都立中央図書館 所蔵。

因みに、岡田謙吉 氏の病因は 何でしたでしょうか。

投稿: さぬき | 2014.07.10 22:48

今度史料を確認してみます。

岡田謙吉は日清戦争で広島に出征しますが、病気となり、東京に戻って自宅で亡くなりました。
死因は肝臓癌とのこと。

投稿: 岡田ファン | 2014.07.11 01:01

前文、「劑官補」に訂正します。
失礼致しました。

投稿: さぬき | 2014.07.11 07:07

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