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2011.11.04

OSN015陸軍衛生部の人々

石黒忠悳はもともと大学東校で教官をしていたので、岡田謙吉とはその頃からの縁かもしれない。
石黒は1871年(明治4年)、文部省をやめ、松本良順の薦めで陸軍(当時は兵部省軍医寮)に入った。軍医制度の草創期である。
当時の軍医・薬剤官の中で、気になる人物を挙げてみる。
(カッコに陸軍入りした時期、最後の階級などを記すようにしたが、精査する時間がなく、後日訂正の予定)

石黒忠悳(1871年→軍医総監) 
小山内建(1872年→一等軍医正、小山内薫の父)
伊東祐順(1873年→一等軍医、建築家・伊東忠太の父)
大澤昌督(1874年→薬剤監、建築家・大澤三之助の父)
笠原親寧(1874年→一等軍医正、岡田の母の兄)
岡田謙吉(1874年→薬剤監)
藤田嗣章(1877年?→軍医総監、画家・藤田嗣治の父)
森林太郎(1881年→軍医総監、=森鴎外)

陸軍本病院が麹町区隼町にあり、麹町区・牛込区あたりに住んでいた者も多い。住まいも近く、家族ぐるみの付き合い、公私にわたるつながりがあったようである。

例えば、藤田嗣治と小山内薫はいとこ同士(母親が姉妹)である。
また、藤田嗣治と、岡田の弟(復三郎)が生まれるときのことだが、藤田の母と岡田の母は同時期に懐妊し、家も近いのでお互い毎日のように行き来をし、同じ日に出産したという話を聞いた。
※両者の経歴を確認したところ、藤田嗣治は1886年(明治19年)11月27日、岡田復三郎は同月28日の出生となっていた。
自分は勝手に陸軍衛生部ネットワークとも呼ぶべきものを想定している。
(ちなみに「軍医部」から「衛生部」と改称されたのは1888年)

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コメント

松本良順を主人公とした吉村昭「暁の旅人」を最近読みました。幕末にはじめてオランダ人から医学を学び、幕府の医学所頭取に。戊辰戦争では、会津藩で戦傷者を治療し、新政府に捕えられますが赦免を受け、のちに山県有朋の懇願で陸軍に入ります。
司馬遼太郎も「胡蝶の夢」で松本を主人公にしてます。

投稿: 横レス | 2011.11.13 22:46

吉村、司馬両氏の作品は不勉強にして知らず、(短い)吉村氏の方を読み始めました。ポンぺに学んだ話や妻妾同居の話など、中々面白いです。

投稿: 岡田ファン | 2011.11.15 07:43

岡田ファン様

過日は「笠原 氏」の資料のご教示、有難うございました。「笠原 氏」、「石黒 氏」双方の先祖が、「木曽義仲」の挙兵と関わりがあったのは、興味深いものがあります。
さらに、割愛されたであろう部分について、筆者に照会中です。
すでにご存知かとも思いますが、「僕の二人のおじさん、藤田嗣治と小山内薫」(蘆原英了)という本に、藤田嗣章のことが載っておりました。
未読ですが、「明治二十一年六月三日」(山崎光夫)という本に、森林太郎のことが載っているそうです。

投稿: さぬき | 2012.09.17 08:38

木曽義仲とはずいぶん遡りますね。
国会図書館に(現物は見てませんが)蘆原コレクションがありますね。著作では、小山内に関する部分だけ斜め読みしましたが、読み直してみたいと思います。

投稿: 岡田ファン | 2012.09.17 11:54

岡田復三郎の誕生日については11/27とする資料と11/28とする資料がありました。

藤田嗣治の出生時、藤田家は牛込区新小川町1丁目8番地にあり、岡田家は隣町の築土八幡町にあったようです。
1888年、藤田の父親が熊本に単身赴任し、1890年12月に家族も熊本に移っています。(蘆原英了氏の著書より)
嗣治は幼少時に熊本へ移ったので、新小川町当時の記憶はほとんどなかったと思います。

1898年、東京に戻った後の藤田家と岡田家の関わりは不明です。

投稿: 岡田ファン | 2015.09.21 22:07

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