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2011.11.10

OSN019兄、阿蘇男

マニアックな話が続くが、ここまで来たら岡田の兄弟のことも書いておく。

兄は岡田阿蘇男と言う。
父が亡くなったときは中学2年で、15歳だったということなので、1881年生まれのはず。
前にも書いたが、名前の由来は、父が熊本鎮台病院(熊本城付近にあった)の赴任中に産まれたためだろう。

「この長男は家をかえりみるような人ではなかったので、早く父を失った信一郎は結局名前どおり長男の立場にたち(…)」という。神代雄一郎氏の「近代建築の黎明」にある話だが、おそらく吉田五十八あたりから聞いた話と思われる(初出は1962年2月)。
また、「兄阿蘇男は海軍兵学校におり、留守がちで、信一郎が長男の役を果たさなければならないはめになった」ともいう。これは前野まさる氏が岡田春(捷五郎の妻)に聞いた話のようだ(「日本の建築 明治大正昭和」、1982年)。
実際はどのような人だったのか。

阿蘇男は高等師範附属小学校・中学校の出身。中学時代は柔道部に入り、また短歌にも親しんだ。
卒業後は、海軍兵学校に入った。

ここで気になることがある。中学校卒業が1899年(明治32年)3月、海軍兵学校入学が12月と、少し間があるのだが、この間に書いた「洋行」という題の一文である。船で港を離れるシーンを描いた短文だが、実際の経験を書いたものなのか、フィクションなのか?実話だとすれば、留学目的か何かでいったん日本を離れたが、まもなく帰国したことになる。それとも外国への憧れをこめて書いたフィクションだろうか。

海軍兵学校は中退し(病気のため?)、外国語学校に籍を置いた時期もある。

その後(今度こそ?)アメリカに留学し、帰国後は事業をしていたようだが、この辺もはっきりしない。
最後は、勤め人に落ち着き、凸版印刷に勤めた。
岡田の随筆「弟を送つて」(中央公論掲載)に、「私達の兄弟は一人は会社員となり(…)」とあるのが、管見の限り、岡田が兄について書き残した唯一の文章である。

岡田(1932年死去)より少し遅れて、1934年に亡くなったという。享年54ということになる。

母親が弟(信一郎)の方に期待をかけたのは確かである。エリートコースを歩む弟と何かにつけて比較され、面白くないことも多かったのかもしれない。
だが、岡田の経歴が一直線に近いのに比べて、中々起伏に富んだ生涯を送ったようであり、自分としては興味をひかれるのである。

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