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2011.11.26

OSN030岡田と洋行(続)

岡田は「弟を送つて」(1925年1月号掲載)の中で、フランスの建築史を研究していて、ロマネスクやゴシックの大聖堂を実際に見てみたくなったと書いているが、その一方、自分が外国に行くことはほとんどあきらめてしまったようである。

岡田は留学の機会を教え子の水谷武彦(1921年東京美術学校卒業、その後同校教授)に譲ったという話がある。水谷が文部省留学生として留学するのは、1926年(大正15年)4月~1929年12月である。水谷はドイツでバウハウスに入学し、モダニズムの最先端の動向にふれた。 

その時分に岡田信一郎先生が海外へ出る命令をもらったので、自分が身体が弱くて出られないから、当時講師をしていた水谷氏に「きみ、行ってこい」と言って水谷氏が代りに行ったのです。(山脇巌の話:「近代建築の目撃者」P289)
やはり岡田の教え子であり、水谷に続いてバウハウスで学んだ山脇の言うことだから、信用しておこう(山脇は1930~1933年に私費でドイツ留学)。

また、今井兼次が留学する際には、スエーデンでエストベリ(ストックホルム市庁舎の設計者)に会えるよう、岡田が手配してくれたという話もある。

まっ先にエストベリ先生を日本公使の永井松三さんから紹介していただいたのです。永井さんは私の師、岡田信一郎先生と中学時代の親しい友人とのことで、先生からのお世話の賜でした。(「近代建築の目撃者」P90)
永井松三は岡田より5学年上である。スエーデン公使を務めたのは1925~1928年。荷風のいとこだという。

岡田については、外国の街のどこにどんな建物があるかよく知っていた、という話もよく紹介される。

外国には一度も行ってないんです。身体が弱かったせいもありますけれども、こっちが逆に質問するほどくわしいんですよ。(…)とにかくどこにどんな家があるとか、行かないくせによく知っているんです。(岡田捷五郎の話)
なお、岡田は、「(留学の)二三の機会は色々な事情でいつも逸さねばならなかつた」とも書いており、他にも何度か機会はあったようだ。

(宿題)水谷が助教授になったのはいつか。

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