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2011.11.25

OSN029岡田と洋行

「弟を送つて」に、日英博覧会の際の洋行がフイになった話が出てきた。(こちらを参照)

日英博覧会は1910年(明治43)5月から10月、ロンドンで開催された。

1909年日本政府と英国の博覧会会社との間で契約が成立し、日本側事務局が農商務省内に置かれた。
岡田は同年5月29日付けで「建築物内装飾及陳列箱陳列台に関する計画委員」を嘱託された。恩師の塚本靖が計画委員長、また、正木直彦が鑑査員などを務めており、その推薦だった。

主要な展示施設は、現地に既設の鉄骨造の展示館であり、計画委員の役割は装飾、陳列の計画づくりだった。日本国内で準備をした後、ロンドンへも出張するはずだった。

岡田が病気のため静養を要する状況になったのは同年8月頃だろうか。(当時、岡田は日本銀行小樽支店、函館支店の設計に当っていたが、8月に奥村精一郎が後任に就いた)

岡田は9月22日付けで委員を免ぜられ、同日付で前田松韻(東京高等工業学校教授)が任じられた。前田は1904年東大卒業で、岡田の2学年上であった。
前田は12月にロンドンへ渡り、博覧会の仕事を行った後、引続き、文部省留学生となり、1913年に帰国した。
また、これより先の6月には、岡田の同期生、本野精吾(京都高等工芸学校教授)も文部省留学生としてドイツに渡った。同世代の前田や本野が洋行してゆくのを横目に見て、岡田の心中はいかばかりか。

洋行が決まりながら病気のために断念せざるをえなくなった、といえば高山樗牛を連想する。
(岡田ファンとしては)もし洋行していれば色々面白いエピソードが生まれただろうし、その後の創作活動もかなり違ったものになったのでは、とあれこれ想像してしまう。

日英博と言えば、当時出展された芝の徳川家霊廟(台徳院)の模型が、今もロンドンに残っているという新聞記事を何年か前に読んだ。博覧会のため、芝の徳川家霊廟を調査したのは、美術学校の高村光雲と古宇田実である。(岡田が関わっているかも、と考えたのだが、違うようだ)

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