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2011.11.11

OSN020弟妹たち

家族話の続き。

弟(三男)の岡田復三郎は1886年(明治19年)生まれ。早稲田大学文学部を卒業、春陽堂、時事新報社を経て、徳富蘇峰が経営する国民新聞社の記者となった。孤煙(こえん)というペンネームで、とにかく歌舞伎が好きな人だったらしい。後で詳しく書くことがあると思う。
岡田信一郎は、杉並の復三郎邸を設計したらしいが、何も資料は残っていない。

四男の孝吉は1888年生まれ。日本橋で歯科医を開業していたが、関東大震災後、笹塚(洗足)に移った。神楽町の岡田信一郎宅の一室を借りて、そこでも診療を行っていたそうだ。1931年に亡くなったという。
つまり、1931年に四男死去、1932年に次男(岡田信一郎)死去、1934年に長男(阿蘇男)が死去、と岡田家に不幸が続いたことになる。

妹のあや子は、中国研究家の後藤朝太郎(1881年-1945年)に嫁いだ。
岡田は後藤邸を設計した。

一番下の五男が岡田捷五郎で、1895年生まれ。早稲田中学から東京美術学校に進学、兄の信一郎から建築を学んだ。卒業後に軍役を勤めた後、1923年(大正12年)1月から兄の設計事務所に勤めた。後に東京芸術大学教授。捷五郎についても別に詳しく書くことがあると思う。
妻は医学士・伊庭秀栄(東大医学部卒)の四女・春である。

信一郎(及び捷五郎)は子どもに恵まれなかったが、復三郎、あや子、孝吉の子どもたちが大勢おり、神楽町の自宅や鎌倉の別荘によく遊びに来たので、にぎやかだったという。

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