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2011.11.06

OSN017日清戦争

謙吉は1891年に現役を退くと、職工を指導して、自ら消毒材料の製造を行うようになったという。日清戦争が起こった際、消毒材料の需要に不足なく賄うことができたのは、謙吉の功績だという話もある。追悼文にある表現なので、やや誇張もあるかもしれないが、相当な規模の工場だったのかもしれない。

「日本の建築 明治大正昭和」の評伝に、岡田の父が亡くなった後、母は「謙吉の開発したガーゼ包帯を生産し、一家を支えなければならなくなった」とある。これを読んで、母がせっせと内職に励んでいたように想像していたのだが、工場経営を引き継いだ、という意味だろうか?
(製造工場の記録を探しているが、まだ見つけられない)
話が先回りしてしまった。

日清戦争(1894~1895年)が起き、開戦から2か月ほど経った1894年11月17日に謙吉も召集された。(末子の捷五郎は11月24日に出生)
大本営のある広島に赴いたのだが、病気となり、翌年の春に東京へ戻ったという。そして9月20日に亡くなった。

岡田の父親について深入りしすぎた気もする。
まだ細かいところで不明な点も多いが、「日本の建築」の評伝、年譜に要領よくまとめられているので十分だろう。

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