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2011.11.01

OSN012石黒忠悳

石黒忠悳は明治時代に陸軍の軍医総監を務めた人物。岩波文庫に自伝「懐旧九十年」が入っており、文学史に興味のある方は森鴎外の上官として名前を記憶しているかもしれない。

前回ふれたように、石黒は岡田の父の上官であった。
岡田信一郎の名付け親になったのも石黒だという。岡田は実際は次男なのだが、長男だと勘違いした石黒が「信一郎」という名を付けてくれたという。

岡田は日本赤十字社の建築顧問となっているが、これも石黒の推薦があったのだろう。岡田の仕事の中に赤十字関係のものが多いのは、石黒のおかげということになりそうだ。
また、石黒の同郷の実業家に西脇済三郎という人がいる。石黒は西脇に岡田を紹介したのではないかと思う。小千谷小学校、小千谷銀行支店、西脇家納骨堂、西脇健治邸、太陽生命本社などの設計は、西脇家関係の仕事である。

後に農林大臣を務める石黒忠篤は長男で、岡田とほぼ同年代である(忠篤は2ヶ月ほど後の生まれ)。忠篤は高等師範附属小学校・中学校と進み、中学では岡田の1学年下であった。お互いによく知っていたはずだが、2人とも何も書き残していないようで、残念である。

(蛇足的)長男の忠篤と今和次郎の関わりはよく知られている。(今は美術学校卒業後、岡田の推薦で早稲田の助手となり、後に早稲田大学教授)
民家研究の会、白茅会(1917年)には、柳田國男、石黒忠篤、内田魯庵、細川護立と、建築関係の佐藤功一、今和次郎、大熊喜邦、木子幸三郎、田村鎮が参加した。白茅会の活動自体は1年ほどで終わるが、今和次郎は研究を続け、全国の民家を調査した。
「石黒(忠篤)は当時、農商務省の農政課長の席にあり(…)(今のために)農村の住宅と副業の調査などの名目で、報告書等一切なし、見たことをただ胸に納めておくだけの公務出張を"乱発"してくれた。」という。(藤森照信、岩波文庫「日本の民家」解説より)

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